マルチプル法は非上場企業の価値評価に用いられる手法です。本記事では、EBITDAマルチプルの計算方法や、メリット・デメリットを解説します。M&Aにおける活用事例も紹介しています。
マルチプル法は、非上場企業の企業価値を評価する際に広く用いられる手法の一つです。この方法は、M&A(合併・買収)の場面で特に重要な役割を果たしています。
マルチプル法の基本的な考え方は、評価対象となる会社と類似した上場企業を選び出し、それらの企業の財務指標に対する企業価値の倍率を用いて、評価対象会社の価値を算定するというものです。
この手法には、以下のような特徴があります。
1.比較対象の選定:評価対象会社と事業内容や規模が似ている上場企業を選びます。
2.財務指標の活用:利益や純資産などの財務指標を用いて比較します。
3.倍率の算出:選定した類似上場企業の企業価値等の倍率を計算します。
4.価値の算定:算出した倍率を評価対象会社の財務指標に適用し、企業価値を推定します。
マルチプル法は、「類似会社比較法」や「倍率法」とも呼ばれることがあります。これらの呼称は、この手法が財務指標に対する倍率(マルチプル)を用いて企業価値を算出することに由来しています。
この方法は、市場の実態を反映した評価が可能であり、比較的簡便に企業価値を算出できるという利点があります。しかし、適切な類似会社の選定が難しい場合もあるため、他の評価手法と併用することが一般的です。
マルチプル法を用いて企業価値を算定する際の具体的な計算手順について、詳しく解説します。
企業価値評価の方法は、大きく分けて以下の3つのアプローチに分類されます。
1.コストアプローチ:純資産額をベースとする評価法
2.インカムアプローチ:将来の収益性に焦点をあてた評価法
3.マーケットアプローチ:類似する企業や取引を参照する評価法
マルチプル法は、このうちのマーケットアプローチに分類されます。この手法は、市場で取引されている類似企業の価値を参考にして、評価対象企業の価値を推定するという考え方に基づいています。
マルチプル法で使用する上場会社の倍率指標には様々なものがありますが、その中でも特によく使用される指標がEV/EBITDA倍率です。
EV/EBITDA倍率の算出方法は以下の通りです:
1.EV(Enterprise Value:事業価値)の算出
EV = 株式価値 + ネット有利子負債(有利子負債 - 非事業用資産)
2.EBITDA(Earnings Before Interest, Taxes, Depreciation and Amortization)の算出
EBITDA = 営業利益 + 減価償却費
3.EV/EBITDA倍率の計算
EV/EBITDA倍率 = EV ÷ EBITDA
この倍率を用いる利点として、以下の点が挙げられます:
•EBITDAがキャッシュフローに近い特性を持っている
•税制や償却の違いに左右されにくい
•利払い前の利益であるため資本構成に依存しない
•特別損益などの一時的要素の影響を受けにくい
これらの特徴により、EV/EBITDA倍率は客観的に企業価値を測定する際に有用な指標となっています。
ここでは、マルチプル法を用いた企業価値算定の具体的な例を示します。
例えば、評価対象会社のEBITDAが1億円で、事業内容・規模が類似した上場会社を3社(A社、B社、C社)選定したと仮定します。
1.各社のデータ収集と計算:
類似会社 |
A社 |
B社 |
C社 |
①時価総額 |
4,000 |
3,000 |
5,500 |
②EBITDA |
600 |
500 |
780 |
③有利子負債等 |
100 |
80 |
100 |
④非事業用資産 |
200 |
150 |
500 |
⑤事業価値(EV)(①+③-④) |
3,900 |
2,930 |
5,100 |
⑥EV/EBITDA倍率(⑤/②) |
6.50 |
5.86 |
6.54 |
2.平均EV/EBITDA倍率の算出: (6.50 + 5.86 + 6.54) ÷ 3 = 6.30倍
3.評価対象会社の事業価値(EV)の算定:
1億円(評価対象会社のEBITDA) × 6.30(平均EV/EBITDA倍率) = 6.3億円
このように、類似会社の財務データを基に算出した倍率を用いることで、評価対象会社の企業価値を推定することができます。
EV/EBITDA倍率以外にも、マルチプル法で用いられる倍率指標がいくつか存在します。それぞれの特徴を簡単に紹介します。
1.売上高倍率
2.EBIT倍率
3.PER(株価収益率)
4.PBR(株価純資産倍率)
これらの指標は、評価対象企業の特性や評価の目的に応じて適切に選択し、必要に応じて複数の指標を組み合わせて使用することが重要です。
マルチプル法には、他の企業価値評価手法と比較して、いくつかの特徴的な長所と短所があります。これらを理解することで、より適切な企業価値評価を行うことができます。
1.計算式が比較的簡単 マルチプル法の大きな利点の一つは、その計算方法が比較的簡単であることです。基本的には、類
似会社のデータから算出した比率を評価対象企業に適用するだけで企業価値を導き出すことができます。複雑な数式を
必要とせず、いくつかの類似会社のデータを用いて対象企業の企業価値の目安を簡単に把握できるのが特徴です。
2.市場価値との比較が容易 マルチプル法では、複数の上場企業を比較対象とすることができます。これにより、市場での
相場や算出された企業価値が適切なものか、あるいは割高・割安であるかを判断しやすくなります。実際の市場価値と
比較することで、より現実的な企業価値評価が可能となります。
3.客観的なデータに基づく評価 上場企業の公開情報を用いるため、主観的な判断に頼りすぎることなく、客観的なデータ
に基づいた評価を行うことができます。これにより、評価結果の信頼性や説得力が高まります。
4.業界動向の反映 同業他社の株価や財務指標を用いるため、業界全体の動向や市場の評価を企業価値に反映させることが
できます。これは特に、業界特有の要因が企業価値に大きく影響する場合に有用です。
1.適切な類似上場会社の選定が難しい マルチプル法の最大の課題は、適切な類似上場会社を選定することの難しさです。
業種や規模、事業の成長率などが異なる企業が多数存在するため、真に比較可能な企業を見つけることは容易ではあり
ません。選定する企業によって算定結果が大きく異なる可能性があるため、類似会社の選定には慎重を期す必要があり
ます。
2.個別事業の特徴が反映されにくい マルチプル法では、企業全体を比較対象としているため、評価対象企業の個別事業に
おける独自性や競争力が十分に反映されにくいという欠点があります。特に、複数の事業を展開している企業や、ユニ
ークな事業モデルを持つ企業の評価には注意が必要です。
3.市場の一時的な変動の影響を受けやすい 上場企業の株価を基に算出するため、株式市場の短期的な変動や投機的な動き
の影響を受けやすい面があります。これにより、企業の本質的な価値とかけ離れた評価結果が導き出される可能性があ
ります。
4.非上場企業特有の要因を考慮しにくい 上場企業のデータを基に評価を行うため、非上場企業特有の要因(オーナーの個
人保証、同族経営のメリット・デメリットなど)を適切に反映させることが難しい場合があります。
これらのデメリットを考慮すると、マルチプル法単独での評価には限界があることがわかります。そのため、企業価値を正確に評価するためには、DCF法(ディスカウンテッド・キャッシュフロー法)などの他の評価手法と併用し、総合的に判断することが望ましいと言えます。
マルチプル法は、実際のM&A取引においても重要な役割を果たしています。ここでは、この手法が活用された具体的なM&A事例を2つ紹介します。
2019年9月、ZホールディングスはZOZOの買収を発表しました。この事例は、eコマース業界における大型M&Aとして注目を集めました。
1.取引概要
2.企業概要
3.M&Aの目的
4.マルチプル法の活用
Zホールディングスが算出したZOZOの株式価値について、マルチプル法による算定結果は以下の特徴を示しました。
この結果は、ZOZOの企業価値が市場の評価以上に高いことを示唆し、買収価格の妥当性を裏付ける根拠の一つとなりました。
2020年12月、ニトリホールディングスは、ホームセンター大手の島忠に対してTOBを実施し、子会社化に成功しました。この事例は、家具・インテリア業界の再編として注目を集めました。
1.取引概要
2.企業概要
3.M&Aの目的
4.マルチプル法の活用
ニトリが算出した島忠の株式価値において、マルチプル法などによる評価は以下の特徴を示しました。
この結果は、島忠の株式が市場で割高に評価されている可能性を示唆しました。しかし、ニトリはシナジー効果や長期的な成長可能性を考慮し、市場価格を上回る買収価格を提示しました。
これらの事例から、マルチプル法がM&Aにおける企業価値評価の重要な要素となっていることがわかります。しかし、最終的な買収価格の決定には、シナジー効果や戦略的意義など、他の要因も大きく影響することに注意が必要です。
マルチプル法は、上場企業の客観的なデータを活用し、比較的簡単に企業価値を算出できる手法です。しかし、適切な類似企業の選定が難しく、個別企業の特性を十分に反映できない場合があります。そのため、他の評価手法と併用し、総合的に判断することが重要です。
著者|土屋 賢治 マネージャー
大手住宅メーカーにて用地の取得・開発業務、法人営業に従事。その後、総合商社の鉄鋼部門にて国内外の流通に携わる傍ら、鉄鋼メーカーの事業再生に携わる。外資系大手金融機関を経て、みつきグループに参画