類似会社比較法によるマルチプル法のEBITDA算定手順を解説
「マルチプル法って実際どう計算するの?」そんな疑問に即答します。類似会社比較法を用いたEBITDA倍率の算定手順と注意点を、専門税理士がやさしく説明します。
マルチプル法は、非上場企業を含む企業価値評価で広く用いられるマーケットアプローチの一種です。評価対象企業と事業内容や規模が似た上場企業(類似会社)を複数抽出し、その企業群の財務指標に対する企業価値の倍率(マルチプル)を平均化して、対象企業の財務指標に乗じることで価値を推定します。市場で実際に形成されている株価や取引価格を基礎に置くため、DCF法などのインカムアプローチと比べて「いまの市場で評価される価格感」を簡便に把握できるのが特徴です。またマルチプル法は倍率を用いることから「類似会社比較法」「倍率法」とも呼ばれます。
企業価値評価には大きくコストアプローチ・インカムアプローチ・マーケットアプローチの三つがあります。マーケットアプローチは「第三者間取引がもっとも公正」という考え方を前提に、市場で実際に売買される価格情報を利用する方法です。上場企業の株価を直接用いる市場株価法、類似公開企業の倍率を使う類似公開企業比較法、過去のM&Aや増資時の価格を参照する類似取引法や過去取引事例法などが含まれます。マルチプル法はこのうち類似公開企業比較法に該当し、非上場企業の評価で特に重視されます。
類似会社比較法(マルチプル法)が支持される主な理由は次の四点です。
マルチプル法で価値を算定する流れは四段階です。
という手順を踏みます。
対象企業とビジネスモデル・規模・成長性・財務構成が近い上場企業を探し、第一次選定では7〜15社程度をリストアップします。そのうえで経営陣へのヒアリングやIR資料の比較を通じて、最終的に3〜5社程度に絞り込むのが一般的です。厳密性を追求し過ぎると該当企業がゼロになり得るため、「完全一致より実務的な近似で足りる」と割り切る姿勢が重要です。
第一次選定のポイント
第二次選定での絞り込み
会計方針の差や季節変動の大きさを確認し、極端に異なる企業を除外します。残った企業数が少なすぎる場合は倍率法そのものの採用を見送る判断もあります。
選定時の留意点
ベンチャー企業が「競合は存在しない」と主張する場合でも、評価実務では類似企業をあえて設定し、その倍率結果を一つの材料として示すのが通常です。
EV(Enterprise Value)は株式価値にネット有利子負債を加えた事業価値です。EBITDAは営業利益に減価償却費を足して求めます。
EV/EBITDA倍率=EV÷EBITDA
EVの算定方法
EV=株式価値+有利子負債−非事業用資産
EBITDAの算定方法
EBITDA=営業利益+減価償却費
EBITDAが1億円の対象企業と、類似会社A社(倍率6.50倍)、B社(5.86倍)、C社(6.54倍)を比較。平均6.30倍を掛け合わせ、対象企業の事業価値は6.3億円と推定されます。
売上高倍率
赤字企業でも適用可、利益率を反映しない。
EBIT倍率
設備投資の重さで倍率が変動。
PER
投資家期待に敏感、特別損失で倍率が歪む。
PBR
資産重視業種で有効、無形資産中心企業では不向き。
異常値を除外する「オリンピック方式」や中央値比較で説得力を高めます。
会計基準差異や一過性損失を補正するノーマライズ調整を行い、調整前後のシフト幅を明示することが説明責任につながります。
景気の局面で倍率は大きく振れるため、複数期平均や感度分析で過大・過小評価を防ぎます。
ここまで、マルチプル法の基本概念と計算の流れ、類似会社選定の実務ポイント、代表的な倍率指標と具体的な計算例を確認しました。次節ではマルチプル法の長所と短所を整理し、M&A現場での売却事例での活用法を詳しく見ていきます。
マルチプル法には、計算のしやすさや市場データの客観性など多くの利点がありますが、同時に類似会社の選定難易度や市場変動の影響といった注意点も存在します。ここでは原文で触れられたポイントを整理しつつ、小学生でもイメージしやすいように噛み砕いて解説します。
マルチプル法の強みは大きく四つです。
一方で、万能ではない点も押さえておく必要があります。
適切な類似上場会社の選定が難しい
事業内容がニッチだったり、成長スピードが突出していたりする企業の場合、「そもそも近い会社が見つからない」ことがあります。無理に遠い業種を選ぶと倍率がゆがみ、結果の信頼性が下がります。選定プロセスを開示し、経営陣とも議論しながら絞り込む姿勢が不可欠です。
個別事業の特徴が反映されにくい
マルチプル法は企業全体をひとつの箱として比較するため、特許技術やブランド価値などピンポイントの強みは埋もれがちです。「A社はサブスク比率が高く解約率が低い」などの特色は、別途DCF法や定性的評価で補う必要があります。
市場の一時的な変動の影響を受けやすい
株価は短期的にニュースや投機の影響を強く受けます。たとえばパンデミック直後の医療関連株のように、数か月で倍増するケースもありました。そうした異常値をそのまま倍率に使うと、冷静な企業価値と乖離する恐れがあります。
非上場企業特有の要因を考慮しにくい
同族経営によるガバナンスの柔軟性やオーナーの個人保証といった非上場固有のリスク・メリットは、上場企業の公開情報だけでは拾えません。そのため最終的な価格決定では、マルチプル法を土台にしつつ適正な調整を行うことが一般的です。
上記の短所を補うため、実務ではマルチプル法をDCF法や時価純資産法と組み合わせる「三面評価」が主流です。倍率が高すぎる場合は将来キャッシュフローで割り引いた結果と見比べ、逆に低すぎる場合は純資産を下支えにするといったクロスチェックで、納得感の高いレンジを導きます。
ここからは、実際の大型M&Aでマルチプル法がどのように使われたのかを見ていきます。原文に登場する二つのケースを、計算の流れと交渉のポイントに焦点を当てながら振り返ります。
2019年11月、Zホールディングス(旧ヤフー)はファッションEC大手ZOZOをTOBで連結子会社化しました。買収総額は約4,007億円、取得株式比率は50.1%です。
取引の背景
Zホールディングスは検索・広告事業に加え、EC分野での拡大を急いでいました。ZOZOのブランド力や物流網を取り込み、ユーザー基盤を横展開する狙いがあります。ZOZO側も新技術開発や海外展開の資金確保を期待していました。
マルチプル法の位置づけ
買収前、ZOZO株は市場株価法で示される株式価値より低い水準にあった一方、DCF法とEV/EBITDA倍率による評価はほぼ同水準でした。ZホールディングスはEV/EBITDAをはじめとする類似会社比較法を通じ、市場が織り込めていないシナジー要素も踏まえて「割安ではないが妥当」と判断。これがTOB価格設定の論拠の一つとなりました。
結果と示唆
マルチプル法で導かれたレンジがDCF法と整合したことで、株主やアナリストは買収価格を受け入れやすくなりました。倍率法は「マーケット目線」の説得材料として強力に機能した好例といえます。
続いて2020年12月、ニトリホールディングスがホームセンター大手島忠をTOBで子会社化したケースを見てみましょう。買収総額は約1,650億円、取得株式比率は77.04%です。
取引の背景
ニトリは首都圏の大型店舗と物流網を強化したい意向があり、島忠は老舗として地域密着型の顧客基盤を持っていました。両社の統合により、商品の共同開発や在庫回転率の改善といったシナジーが見込まれました。
マルチプル法による評価
基準日2020年10月28日時点で算定した市場株価法は、過去半年平均株価を用いたため比較的高い評価を示しました。一方、EV/EBITDA倍率やPERを用いた類似会社比較法はそれより低い金額となり、さらにDCF法も倍率法に近い水準でした。このギャップは「株式市場が短期的に割高評価している可能性」を示唆しています。
提示価格の決定
ニトリは長期シナジーを重視しつつも、市場株価以上のプレミアムを乗せる必要がありました。最終的に倍率法とDCF法の平均的なレンジをやや上回る水準でTOB価格を設定。株主は過熱感のある株価以上で売却でき、ニトリ側もシナジーを通じて価値を回収できるというバランスを図りました。
これらの観点を押さえることで、買手・売手双方が納得できる価格合意に近づけます。
マルチプル法は、上場企業の客観的データを利用して企業価値を素早く把握できる便利な手法です。類似会社比較法で得た倍率は、市場環境や選定企業の違いでぶれやすいため、DCF法や時価純資産法と併用しクロスチェックすることが重要です。M&Aを検討する際は、専門家と相談しながら総合的な判断で価格を決定しましょう。
著者|土屋 賢治 マネージャー
大手住宅メーカーにて用地の取得・開発業務、法人営業に従事。その後、総合商社の鉄鋼部門にて国内外の流通に携わる傍ら、鉄鋼メーカーの事業再生に携わる。外資系大手金融機関を経て、みつきグループに参画