本記事では、中小企業のM&Aや事業承継で活用される年買法(年倍法)の概要から、具体的な計算方法、他の評価手法との比較、注意点などを分かりやすく解説します。将来の不確実性や恣意性のリスクも含めて知り、適正な企業価値を把握するためのポイントを学びましょう。
目次
▶目次ページ:企業価値評価(年買法)
年買法(年倍法)は、中小企業を中心とするM&Aにおいて、企業価値を簡便に算出するためによく用いられる評価手法です。主に「時価純資産+基準利益×年数(3~5年)」という式で表され、のれん計算時の目安として使われてきました。ここでの時価純資産とは、含み損益や簿外債務などを反映した実質的な純資産を指します。
この方法は、比較的少ない算定ステップで企業価値を試算できる点が大きな特徴です。基準利益は一般的に営業利益や経常利益などが用いられ、過去からの蓄積(純資産)と将来の利益(一定年数分)を合算することで、譲渡企業と譲受企業の両者が合意しやすい価格帯を探りやすいといわれています。
しかし、年買法(年倍法)自体に厳密なファイナンス理論は存在しません。あくまで「過去の実績」と「数年分の利益」を合算して求める簡便的な方法なので、将来の不確定要素や企業の成長性が大きい場合には、誤差が生じやすいという弱点があります。
年買法(年倍法)は、以下の式で企業価値を算定します。
株式価値 = 時価純資産 + 基準利益 × 年数倍率(3~5年程度)
貸借対照表の純資産を時価で評価したもの
営業利益、経常利益などの税引前利益が用いられることが多い
通常3~5年の範囲だが、業界特性や市場環境、財務状況などによって変動
たとえば、簿価純資産が800百万円、含み益40百万円、営業利益80百万円の企業を想定すると、まず簿価純資産と含み益を合算し、時価純資産を840百万円と算出します。そこに営業利益80百万円×年数倍率(ここでは3年と仮定)=240百万円をのれんとして加算し、最終的に企業価値を1,080百万円とするイメージです。
この計算例はあくまでもシンプルな仮定に基づくものです。実際には、業種や企業の規模、将来予測、市場人気度などを踏まえて年数倍率を調整するなど、さまざまな要素を考慮する必要があります。
企業価値の評価方法には、年買法(年倍法)のほかにも次の3つが代表的です。
貸借対照表上の資産・負債を時価に置き換え、純資産を求める方法(時価純資産法など)。過去の実績に基づくため計算がシンプルですが、将来の収益力を十分に反映できないという特徴があります。
将来生み出される利益やキャッシュフローを割り引いて現在価値にする手法(DCF法など)。ファイナンス理論に基づき理論的ですが、将来予測に恣意性が入りやすく、算定過程も複雑になりがちです。
類似企業の取引事例や株価指標をもとに企業価値を類推する方法(類似会社比較法など)。市場の相場感を反映しやすい一方、比較対象の選定に主観的要素が入りやすい難点もあります。
年買法(年倍法)は、コストアプローチにおける「時価純資産」と、インカムアプローチにおける「利益×一定年数」という発想を組み合わせた「複合的な評価手法」と説明されることがあります。過去の蓄積に加えて将来の利益をある程度考慮できる点で、比較的分かりやすい手法として中小企業のM&Aで支持されてきました。
ただし、将来キャッシュフローや市場環境を厳密に評価するわけではないため、DCF法ほどの理論性はなく、同業種の多くの企業事例を分析するわけでもないため、市場比較の客観性も充分とはいえません。そのため、年買法(年倍法)は単独ではあくまでも「目安」として使うにとどめるのが望ましいと指摘されています。
年買法(年倍法)のメリットは、簡便で理解しやすいことです。しかし、その手軽さゆえにいくつかのリスクや注意点が存在します。代表的なものを挙げると以下のとおりです。
過去の利益を前提とするため、成長企業や将来性の高いビジネスを十分に評価できない場合があります。
新規参入や技術革新が進む業種では、数年先の予測が大きく変動する可能性が高く、固定的な年数倍では柔軟に反映できません。
年数倍率を3年とするか5年とするかで企業価値が大きく変わるため、譲渡企業・譲受企業双方の主観が交渉を左右する可能性が高いです。
年買法(年倍法)の計算結果だけで価格を決めると、過大評価や過少評価になるリスクがあります。DCF法や類似会社比較法などとの併用が望まれます。
一部のスタートアップ企業やIT分野など、実態として設備資産や在庫が少なく高収益なケースでは、純資産が小さい割に利益が大きい場合があり、年買法だと低く評価される恐れがあります。
以上のように、年買法(年倍法)は使い勝手が良い一方で、企業の本質的な価値を十分に反映しきれない可能性もあるため注意が必要です。
年買法(年倍法)で重要となるのは、基準利益にかける「年数倍率」をどう設定するかです。一般的には3~5年が採用されますが、それは税務上ののれん償却期間(5年)なども背景にあります。また、業種や企業規模などを考慮して、以下のように判断するケースが多いとされています。
収益性が高く競争力も評価されやすいため、5年など比較的長めの年数を採用しがち
市場が大きく成長する見込みが低い場合は、3年など短めの倍率を設定
安全性の評価が低いため、年数倍率を抑える
需要が強く買い手候補が多いため、やや高めの倍率となる傾向
また、より細かく2.5年、3.5年など小数点レベルで設定するケースも存在します。最終的には譲渡企業と譲受企業の交渉で合意を得ることがポイントとなりますが、業種特性や将来見通しを適切に踏まえて、安易に「3~5年」で一括りにせず慎重に検討することが求められます。
年買法(年倍法)では「純資産を増やす」「利益を増やす」ことで企業価値が上がる構造になります。具体的には以下のような施策が挙げられます。
負債の削減や遊休資産の整理によって、時価純資産を高める
売上拡大やコスト削減、高付加価値サービスの開発などによって利益を増やす
ブランド力や技術力、人材、顧客ネットワークなどの要素を磨き、将来的な利益創出をアピールする
自己資本比率を高める、キャッシュフローを安定化させる
中長期計画や新規事業の可能性を明確化し、市場からの評価を高める
ただし、年買法(年倍法)のみを想定して施策を行うというより、どの評価手法で見ても魅力的な会社となるよう、経営の質を総合的に高めることが大切です。
年買法(年倍法)は中小企業のM&Aで実務的に活用されている一方で、ファイナンス理論の観点から見ると、正当性が明確に定義されているわけではありません。実際、上場企業や大規模なM&Aでは、企業価値評価ガイドラインや専門書籍で広く紹介されているDCF法や類似会社比較法が用いられますが、その中で「年買法(年倍法)」という言葉は登場しないのが一般的です。
ただし、全く根拠がないというわけではなく、「割引超過利益モデル(残余利益モデル)」などの考え方を極めて簡素化すれば、年買法(年倍法)を理論的に説明できる側面もあるといわれています。たとえば「企業の投下資本から生じる超過利益を、ある一定期間分だけ合算する」という発想であれば、年買法(年倍法)が表面的に似た構造を持つことは否定できません。しかし、あくまで複雑な数式や前提を大幅に省略した仮定による説明であり、将来キャッシュフローや資本コストを厳密に検討するDCF法とは異なるため、理論的裏付けが弱いことに変わりはありません。
さらに、年買法(年倍法)の計算において「利益×3~5年」という目安が使用される背景には、のれん償却の税務上の扱いや慣習的な期間設定などが大きく影響しています。つまり、売却額を簡便に説明しやすく、オーナー経営者へ提示するときに抵抗感が少ないという「わかりやすさ」を重視した結果ともいえます。そのため、厳密な評価方法ではなく、過去の慣習や実務上の必要性によって定着した手法と理解するのが自然でしょう。
年買法(年倍法)が中小企業のM&Aや事業承継で広まった大きな要因には、以下の点が挙げられます。
将来キャッシュフローや割引率を緻密に計算するDCF法とは異なり、年買法(年倍法)は「時価純資産+利益×年数」のみで算出できます。最低限の会計知識があれば理解しやすいため、オーナー経営者同士の交渉でも納得感を得やすいといわれています。
譲渡企業とも譲受企業とも契約し、双方から手数料を受け取るスタイルの仲介会社が増えたことで、「ある程度客観的に見える数字」が求められるようになりました。年買法(年倍法)は双方に配慮したような形をとりやすく、交渉をスムーズに進めるための材料として便利だったといわれています。
中小企業庁のマニュアルでは、年買法(年倍法)という名称そのものは大きく打ち出されていませんが、同様の考え方で企業価値を簡便に算出する事例が紹介されることもあります。オーナー経営者が実際に事業承継やM&Aを進める際、理論よりも「実務を成立させる使いやすい方法」を優先する傾向があり、結果として年買法(年倍法)の利用を後押ししてきました。
純資産と利益を足し合わせる構造が「過去の蓄積(純資産)+将来の利益(何年分)」というイメージと合致しやすく、譲渡企業にとっては自社が積み上げてきた価値を、譲受企業にとっては一定期間の利益を支払う感覚として合意しやすいという背景があります。
このように、年買法(年倍法)は理論的な評価手法ではないながらも、現場では「妥当だと感じられる金額」をつくり出しやすい方法として普及したというのが実情です。
年買法(年倍法)は「売主が納得しやすい」あるいは「買主がわかりやすい」数字を導きやすい面があり、中小企業の事業承継や友好的なM&Aでは、交渉がまとまりやすいメリットがあります。しかし、次のような問題点や課題にも注意が必要です。
年買法(年倍法)の結果に加え、DCF法や類似会社比較法などの結果も踏まえ、複数の算定方法を比較することが望ましいです。特に高い成長見込みがある企業や、負債構成が特殊な企業などでは、年買法(年倍法)だけでは公正な評価にたどり着かない可能性があります。
過去利益をベースにした評価では、将来の市場動向や技術革新、新規参入などを織り込めません。実際には、急成長分野の企業が年買法(年倍法)を適用すると、過小評価になる場合もあります。また、成熟産業であっても、工場などに資産価値があるからといって将来利益が十分に見込めなければ、過大評価になるケースもあり得ます。
両手仲介は譲渡企業と譲受企業の双方から報酬を得るため、両者の合意点となる金額を提示しやすい手法として年買法(年倍法)が好まれやすいです。ただし、買手探しを一社だけに限る場合、オーナー経営者が本当にベストプライスで譲渡できているかを検証しにくい面があります。
譲渡企業としては、複数の譲受候補を募って競ってもらう「オークション形式」を検討することも重要です。年買法(年倍法)で試算された価格が妥当かどうかは、実際に複数の候補先から出る提示額を比較してみることで、客観的に確かめやすくなります。
年数倍率や基準利益の定義など、算定の前提を明確にしておかないと、価格交渉で「もっと高くできる」「もっと低くなるはずだ」といったトラブルが生じがちです。年買法(年倍法)を用いるなら、どの期間の利益を基準とするか、含み益や簿外債務をどこまで調整するかをしっかり合意しておく必要があります。
年買法(年倍法)は、時価純資産と数年分の利益を単純合算するため、交渉をまとめやすい評価手法です。ただし、将来の不確実性や理論的な裏付けの弱さから、単独で用いると過大・過少評価のリスクが高まります。他の評価方法や専門家の助言、複数候補への打診を組み合わせ、総合的に企業価値を検討することが大切です。
著者|土屋 賢治 マネージャー
大手住宅メーカーにて用地の取得・開発業務、法人営業に従事。その後、総合商社の鉄鋼部門にて国内外の流通に携わる傍ら、鉄鋼メーカーの事業再生に携わる。外資系大手金融機関を経て、みつきグループに参画