事業承継信託は、自社株の管理と利益を受ける権利を分け、後継者への承継時期や条件を設計する方法です。4つの活用型、認知症対策、遺留分、贈与税・相続税、事業承継税制との関係、第三者承継との使い分けを分かりやすく解説します。

目次
▶目次ページ:親族内承継(親族内承継とは)
「後継者は決まっているが、経営権をすべて渡すのはまだ早い」。このような悩みを持つ中小企業の経営者は少なくありません。
事業承継信託は、現経営者が保有する自社株を受託者に託し、信託契約で定めた目的や条件に従って管理してもらう仕組みです。後継者への株式承継を、贈与や相続とは異なる方法で設計できます。
基本となる関係者は、自社株を託す委託者、株式を管理する受託者、配当などの利益を受ける受益者の3者です。現経営者が委託者、信託銀行や信託会社、親族などが受託者、後継者が受益者となる設計が考えられます。
事業承継信託は、単に自社株の名義を移す制度ではありません。誰が議決権行使の方針を決めるのか、誰が配当を受けるのか、いつ後継者へ株式を渡すのかを組み合わせ、承継の過程を設計する方法です。
相続が発生してから承継方法を決めようとすると、自社株が複数の相続人に分かれることがあります。その結果、株主総会で必要な賛成を得られず、重要な経営判断が遅れるおそれもあります。
信託によって承継先や条件をあらかじめ定めておけば、遺産分割協議の結果だけに左右されず、後継者へ権利を集める道筋を作れます。
ただし、信託を設定すれば親族間の争いがなくなるわけではありません。後継者以外の相続人への配慮も同時に進める必要があります。
経営者が認知症などで判断能力を失うと、自社株の贈与や売却、新しい信託契約の締結が難しくなります。株主として意思表示ができず、会社の重要な決定に影響が出ることも。
判断能力が十分なうちに信託を設定し、議決権行使の方針を誰が決めるか、能力低下時に権限を誰へ移すかを定めておけば、経営の停滞を防ぎやすくなります。
体調が悪化してから準備しようとしても、手続を進められないケースがあります。早めの検討が重要です。
贈与や相続では、原則として株式を移転した時点で権利が後継者へ移ります。一方、信託では、現経営者の死亡時、一定期間の経過時、後継者が一定の経験を積んだ時など、条件を定めて承継を進める設計ができます。
また、現在の後継者が亡くなった後に、誰が次の受益者になるかを定める方法もあります。自社株が後継者の配偶者など、現経営者が想定していない人へ移ることを防ぎたい場合に検討されます。
自社株を信託すると、受託者が信託財産として株式を管理します。会社の株主名簿についても、受託者への名義変更などの手続が必要です。
そのうえで信託契約を工夫すると、議決権行使に関する指図と、配当などの利益を受ける権利を異なる人に持たせることができます。
信託された自社株について、株主として議決権を行使するのは、原則として受託者です。
ただし、信託契約で議決権行使の指図権を現経営者に残せば、現経営者が議決権行使の方針を決め、受託者がその指図に従って議決権を行使する形を作れます。
「経営権を持ったまま株式を渡せる」と説明されることもありますが、実務では、議決権、指図権、受益権、信託終了後の株式の帰属を分けて確認しなければなりません。
言葉だけで判断すると、想定した経営支配を維持できないおそれがあります。
受益者は、信託契約に従って、配当や信託終了時の財産を受ける立場です。後継者を受益者にすれば、現経営者が議決権行使の指図を続けながら、配当などの財産上の利益を先に後継者へ移す設計も考えられます。
ただし、受益権を無償で後継者へ取得させると、贈与税が生じる場合があります。
経営に関する権利と財産上の権利を分けられることと、税負担を避けられることは別の問題です。
「事業承継信託」や「自社株承継信託」は、法律で内容が一律に定められた制度名ではありません。いずれも、事業承継を目的として自社株を信託する仕組みを示す実務上の呼び方です。
金融機関の商品や専門家の説明によって、名称、受託者、対象財産、変更条件、費用などが異なります。
そのため、名称だけで判断せず、自社株以外の財産を含むのか、議決権行使の方針を誰が決めるのか、信託終了後に株式を誰が受け取るのかを確認することが大切です。
事業承継信託には、代表的な設計として、他益信託、遺言代用信託、帰属権利者型信託、受益者連続型信託があります。
名称を覚えるよりも、いつ、誰に、どの権利を渡すのかで整理すると理解しやすくなります。
他益信託とは、委託者とは別の人を受益者にする信託です。
現経営者が自社株を信託し、後継者を受益者にすれば、後継者が配当などを受ける一方、現経営者が議決権行使の指図を続ける設計が考えられます。
後継者は決まっているものの、経営判断は段階的に任せたい場合に適しています。
ただし、後継者が受益権を無償で取得すると、一般に贈与税の対象になります。自社株や受益権の評価額と、後継者の納税資金を確認しなければなりません。
遺言代用信託とは、現経営者が生きている間は本人を受益者とし、死亡後は後継者が受益権を取得するよう定める方法です。
相続の発生時に後継者の地位を明確にしやすく、自社株承継の空白期間を短くする効果が期待できます。
生前は配当や経営上の権限を維持し、相続発生時に速やかに承継したい場合に検討されます。
遺言書だけに頼るのではなく、生前に締結した信託契約で承継の条件を定める点が特徴です。
帰属権利者型信託とは、現経営者の死亡などを信託の終了事由とし、信託終了時に残る自社株を受け取る人として後継者を指定する設計です。
受益権を引き継がせるのではなく、信託を終了させ、自社株そのものを後継者へ渡す流れになります。
相続発生後は信託を継続せず、後継者を直接の株主にしたい場合に検討されます。
信託の終了条件、自社株の交付方法、株主名簿の変更などを具体的に定めておく必要があります。
受益者連続型信託とは、最初の受益者が死亡した後、次の受益者が権利を取得するように、複数世代の順番を定める方法です。
現経営者から子、その後に孫というように、将来の承継ルートを一定の範囲で設計できます。
同族経営を長く続けたい会社や、現在の後継者が自社株を第三者へ譲渡することを避けたい場合に検討されます。
ただし、何世代先までも無期限に承継先を指定できるわけではありません。信託法上の期間制限や、受益者が変わる際の課税も確認する必要があります。
事業承継信託の強みは、承継条件を柔軟に設計できることです。しかし、柔軟に設計できるからこそ契約が複雑になり、後から変更や終了をしにくくなる場合もあります。
信託契約を適切に設計すれば、現経営者が議決権行使の方針を決めながら、配当などの財産上の利益を後継者へ移せます。
また、認知症などによる判断能力の低下に備えたり、相続開始後の遺産分割を待たずに後継者の立場を明確にしたりすることも可能です。
受益者連続型を使えば、複数世代にわたる承継先も一定の範囲で定められます。自社株の分散を防ぎ、会社の意思決定を安定させたい場合に役立ちます。
信託契約は、いつでも経営者だけの判断で自由に変更、解約できるとは限りません。信託契約の内容や受益者の権利、受託者との合意によって扱いが異なります。
信託銀行などが提供する商品では、中途解約が制限される場合もあります。
後継者を変更する可能性があるなら、変更権限を誰が持つのか、受益者の同意が必要なのか、現経営者の判断能力が低下した後でも変更できるのかを確認しておきます。
信託銀行や信託会社を受託者とする商事信託では、設定費用や管理報酬がかかります。
親族などを受託者とする民事信託では、金融機関への継続報酬を抑えられる場合がある一方、受託者に株式の管理、記録、利益相反への対応などの責任が生じます。
費用の安さだけで受託者を決めるのは危険です。会社の議決権を扱うため、受託者の判断能力、後継者との関係、辞任や死亡時の交代方法まで確認します。
信託は節税だけを目的とする制度ではありません。
信託を設定した時、受益者が変わった時、信託が終了した時に、それぞれ贈与税や相続税などの課税関係を確認する必要があります。
現経営者が委託者と受益者を兼ねる自益信託では、信託設定時に利益を受ける人が変わらないため、一般にその時点では贈与税が生じません。
その後、現経営者の死亡により後継者が受益権を取得した場合は、原則として相続税の対象になります。
一方、後継者を信託設定時から受益者とする他益信託では、後継者が適正な対価を支払わずに受益権を取得すると、贈与税が課される可能性があります。
株価が低い時期を選ぶだけでなく、受益権の評価額、納税資金、将来の株価上昇まで含めて検討することが重要です。
事業承継信託を利用して信託した自社株は、法人版事業承継税制の対象になりません。
法人版事業承継税制とは、一定の要件を満たす非上場会社の株式を後継者が贈与や相続などで取得した場合に、贈与税や相続税の納税を猶予する制度です。
自社株の評価額が高い会社では、信託による柔軟な権利設計と、事業承継税制による納税猶予のどちらを優先するかが重要な判断になります。
信託契約を結んだ後では選択肢が狭まるため、実行前に税額と適用条件を比較します。
遺留分とは、兄弟姉妹以外の一定の相続人に保障される最低限の取り分です。
現在の制度では、遺留分を侵害された相続人は、財産そのものの返還ではなく、原則として金銭の支払を求めます。これを遺留分侵害額請求といいます。
自社株や受益権を後継者へ集中させると、他の相続人から金銭請求を受けるおそれがあります。信託を使った場合の扱いは契約内容や権利の設計によって判断が分かれる可能性があるため、「信託なら遺留分を避けられる」と考えるのは危険です。
自社株以外の預金や不動産を他の相続人へ配分する、支払原資を確保する、家族へ承継方針を説明するなどの対策を組み合わせます。
後継者だけでなく、家族全体の納得を得ること。意外と多い落とし穴です。
仕組みが複雑だから優れているわけではありません。後継者、株主構成、税負担、将来の経営方針に合うかで判断します。
後継者がほぼ決まっており、現経営者が一定期間は経営判断に関わりたい会社は、事業承継信託を検討しやすいでしょう。
自社株が相続で分散する可能性がある会社、現経営者の認知症に早めに備えたい会社、次の世代まで承継先を定めたい会社も検討対象です。
後継者に経営経験が不足している場合でも、議決権行使の指図を段階的に移す設計により、急な世代交代を避けられる可能性があります。
後継者が決まっていない会社、相続人の反対が強い会社、贈与税や相続税の納税資金が不足する会社では、慎重な判断が必要です。
法人版事業承継税制の利用を優先したい場合も、信託を先に設定してはいけません。
近い将来に会社売却を考えている場合も注意が必要です。信託された自社株を売却するには、受託者の権限、指図権、受益者の同意、信託終了条件などを確認する必要があり、買い手企業との交渉が複雑になることがあります。
信託契約書を先に作るのではなく、承継の目的と税負担を整理してから設計します。
順番を誤ると、柔軟なはずの信託が、かえって将来の経営を制限することがあります。
現経営者がいつ退任したいのか、後継者へいつ配当を渡すのか、議決権行使の方針を決める権限をいつ移すのかを整理します。
現経営者の死亡時だけでなく、判断能力が低下した場合、後継者が辞退した場合、後継者が先に死亡した場合も想定します。
発行済株式数、株主名簿、譲渡制限、種類株式、現経営者以外の株主、過去の株式移動を確認します。
自社株や受益権の評価額も試算し、他益信託なら贈与税、死亡時の承継なら相続税の負担を見積もります。
信託は、受託者と結ぶ信託契約、遺言による信託、経営者自身が受託者となる自己信託などの方法で設定できます。
自己信託は、単に経営者が口頭で宣言すれば成立するものではありません。公正証書など、法律で定められた方式に従う必要があります。
商事信託と民事信託のどちらが適しているか、受託者が議決権を適切に扱えるか、受託者が辞任した場合に経営が止まらないかを確認します。
通常時に議決権行使の方針を決める人、現経営者の判断能力が低下した場合の判定方法、後継者へ指図権を移す条件を契約に定めます。
株式売却、役員選任、増資、配当、合併など、会社の将来に大きく影響する事項については、誰が最終判断をするのかを具体的に決める必要があります。
税理士による税額試算、弁護士や司法書士による契約内容と遺留分の確認、会社法上の手続の確認を並行して進めます。
専門家によって確認する範囲が異なるため、同じ契約案を共有して検討することが重要です。
家族には、特定の後継者を優遇するためだけではなく、会社の経営を安定させるための設計であることを説明します。
説明を後回しにすると、契約が法的に有効でも、相続後に大きな対立が残ることがあります。
事業承継信託は、承継させたい後継者がいる場合に使いやすい方法です。親族や従業員に適任者がいなければ、信託だけで後継者問題を解決することはできません。
その場合は、M&A(合併・買収)による第三者承継も比較します。株式譲渡によって外部の買い手企業へ経営権を移せば、従業員や取引先との関係を維持しながら事業を残し、経営者が譲渡対価を受け取れる可能性があります。
信託と第三者承継のどちらかを、早い段階で決め打ちする必要はありません。後継者候補の育成、自社株評価、買い手候補の可能性を並行して確認し、一定の期限までに親族内承継が難しければ会社売却へ切り替える方法もあります。
すでに信託を設定している場合は、自社株の売却に必要な権限や同意を確認しなければなりません。将来のM&Aを妨げないよう、信託契約の段階で売却時の手続も設計しておくことが重要です。
事業承継信託は、自社株の議決権行使と財産上の利益、承継時期を分けて設計し、認知症や株式分散に備える方法です。一方、贈与税・相続税、遺留分、受託者の費用と責任、法人版事業承継税制を使えない点には注意が必要です。後継者が定まらない場合は第三者承継も含め、自社に合う方法を専門家と比較することが大切です。
著者:竹川 満 マネージャー / M&Aアドバイザー
野村證券にて、法人・個人富裕層の資産運用を支援した後、本社企画部署では全支店の営業支援・全国の顧客の運用支援、新商品の導入等に携わる。みつきグループでは、教育機関・介護施設等へのM&Aを含む経営支援に従事
編集:M&A事業承継アドバイザーズ 編集部|運営:みつき税理士法人