事業承継信託は、自社株を信託して後継者に円滑に承継する制度です。遺言代用や他益、後継ぎ遺贈型など多様な種類があり、経営者の意思を反映しやすい点が魅力です。本記事では、それぞれの特徴やメリット、留意すべき課題をわかりやすく解説します。
目次
▶目次ページ:親族内承継(親族内承継とは)
事業承継信託とは、会社の経営権を持つ自社株や事業に属する財産などを「信託」という仕組みで管理・運用することで、後継者へのスムーズな承継をめざす方法です。2007年の改正信託法によって可能になった比較的新しい制度で、一般的な相続や親族内承継に比べると認知度はまだ低いといわれます。
しかし、信託を使うことで経営権(議決権)と財産権(配当や利益を受け取る権利)を分けて承継できる場合があり、経営者の「まだ経営には関わりたいが、財産的な権利は後継者に渡しておきたい」といった希望に柔軟に応えられる点が注目されています。
さらに、後継者が複数世代にわたる場合でも、あらかじめ「誰が次に経営権を引き継ぐのか」を定めておくことで、長期的な事業の安定を図ることができるのも特徴です。
事業承継信託とよく混同される制度として、自社株承継信託があります。どちらも「自社株を信託する」点は共通していますが、事業承継信託の場合は、企業が保有する財産や債務などもまとめて信託の対象になる可能性があります。一方の自社株承継信託は、あくまで自社株そのものの承継に特化しているという違いがあります。
事業承継信託
自社株承継信託
つまり、「社内にある各種資産や融資を丸ごと信託に入れておきたい」というケースでは事業承継信託が有効です。一方で、「株式のみ円滑に受け渡しできれば良い」という経営者の方には、自社株承継信託を利用しても問題はありません。
事業承継信託には、大きく分けて次の3種類があります。いずれも「経営者が健在なうちに契約を結ぶタイプ」として利用されることが多いですが、それぞれの特徴をしっかり理解して、自社に合うものを選択することが重要です。
遺言代用信託は、その名前の通り「遺言の代わり」として機能する仕組みです。通常、遺言書を作成して「経営者が亡くなったら誰に何を相続させるか」を指定しますが、この信託を利用すると、生前に信託契約を結んでおき、経営者の死亡後に指定した後継者が受益権を得る形が整えられます。
また、後継者が未熟な場合は、一定期間、第三者(信頼できる人物や外部の専門家)に経営権の行使を任せ、後継者が経営に慣れた段階で本格的に引き継がせることも可能です。
他益信託では、現経営者が委託者となり、後継者を受益者とします。ただし、経営権(議決権)は経営者側が保有し続け、受益者となった後継者は配当などの財産的利益を受け取れます。
「経営の主導権はまだ譲れないが、財産権は後継者に渡しておきたい」という状況で適している方法といえるでしょう。
後継ぎ遺贈型受益者連続信託とは、受益者が亡くなると、あらかじめ指定されていた次の受益者に受益権が移る仕組みです。最大の特徴は「世代をまたいだ複数の後継者を順番に指名しておける」点にあります。
長期的視点で会社の舵取りを考える場合や、まだ幼い後継者を今後引き継ぎ候補に加えたい場合に有効な方法です。
事業承継信託が注目されるのは、一般的な相続や贈与では得られないメリットがいくつもあるからです。ここでは、代表的な5つの利点について見てみましょう。
信託を利用する最大のメリットは「株式を柔軟に管理できる」ことです。現経営者の意思に合わせて、自社株を「経営権」「財産権」に分離できるほか、後継者の選定も比較的自由度が高いです。また、場合によっては三代先まで後継者を指定できるのも大きな特徴でしょう。
事業承継信託では、一度契約を結んでも「やっぱりこの後継者は難しいかも…」という場合に契約内容を見直すことができる柔軟性があります。特に、信託の種類によっては、経営者が議決権を持ち続けられるため、信託の解除や変更がしやすいのです。
通常の相続では、相続人同士で「株式を均等に分ける」形をとることが多く、後継者の地位が明確にならないケースがあります。事業承継信託を使えば、どの後継者が経営権を握るかをはっきり定めておけるため、親族間や相続人間での紛争を避けやすいというメリットがあるのです。
経営者が急逝した場合、普通の相続手続きだと「遺産分割協議」や「相続税申告」などで一定の期間が必要です。その間、会社の議決権が宙に浮いてしまい、重要な意思決定ができなくなる懸念があります。しかし、事業承継信託では、経営者の死亡と同時に後継者が受益権や議決権を取得できるため、経営の空白期間をほとんど発生させません。
信託の種類によっては、贈与税や相続税の課税対象になりにくいケースがあります。たとえば、委託者自身が受益者となる「自益信託」なら、贈与としては扱われないことが多いです。ただし、適用できる特例や課税範囲は状況によって異なるため、税理士など専門家の助言が欠かせません。
事業承継信託は魅力的な方法ですが、いくつか乗り越えなければならない課題もあります。ここでは主に3つに分けて解説します。
事業承継信託は、遺言代用の仕組みなどを使って「経営者が亡くなった段階」で承継を発動するケースが多いです。つまり、「今のうちに事業を完全に任せたい」という経営者には不向きな場合があります。生前に贈与や株式譲渡をしておきたいなら、別の手段(贈与や株式売買など)を検討する必要があるでしょう。
事業承継信託は2007年に施行された改正信託法によって可能となった新しい制度です。そのため、「信託とは何か」「なぜ事業承継で信託を使うのか」を親族や社内の関係者に説明するのが難しい場合があります。特に、日本では相続や贈与の方が一般的で、信託を使って事業を引き継ぐイメージが浸透していません。
遺留分とは、一定の相続人に保障された最低限の相続財産の取り分をいいます。事業承継信託で特定の後継者に株式を集中させた場合、「ほかの相続人の遺留分を侵害していないか」が争点になる可能性があります。
事業承継信託をどうやって始めればいいのか、いくつか方法が挙げられています。大きくわけると次の3つのパターンがあり、それぞれに特徴があります。
まずは、経営者が判断能力をしっかり有しているうちに、信託銀行や信託会社と契約を結ぶ方法です。将来の後継者を受益者として指定し、経営者が亡くなったり、契約で定めたタイミングになったら株式が後継者へ移転するようにしておきます。
遺言書の中に「自分が亡くなったら、○○信託銀行を受託者とする事業承継信託を実行する」などと詳細を定めておく方法です。こうしておけば、遺言の効力が発生したタイミングで自動的に信託契約が始動します。
自己信託は、経営者が委託者と受託者を兼ねる形で「自分自身に財産を信託する」と宣言し、将来の後継者に受益権が移るよう設定する方法です。2007年の信託法改正によって新しく認められました。
事業承継信託を実際に使うとき、スムーズな承継にするために押さえておきたいポイントがいくつかあります。ここでは3つを例に挙げます。
信託の仕組みは一般的にあまり馴染みがありません。「なぜ株式をわざわざ信託にするのか」「遺留分はどうなるのか」など疑問がいろいろ出るでしょう。家族や関係者に誤解があると、後々トラブルにつながりかねません。
遺留分問題は判例や法解釈がまだ十分に確立されていない領域です。もし後継者以外の親族から「自分の取り分を侵害されている」と主張された場合、最悪の場合は裁判に発展することもあり得ます。
事業承継税制など、贈与税や相続税に対する特例措置が受けられない場合があります。とくに、信託財産化した株式が「納税猶予や免除の対象にならない」といったケースもあるため、専門家に相談することが大切です。
事業承継信託は、信託機能をもつ金融機関が取り扱います。代表的には、りそな銀行・みずほ信託銀行・三井住友信託銀行などが有名です。いずれも「遺言代用タイプ」「他益信託」「受益者連続信託」など、複数のメニューを用意しています。ここでは、その概要を簡単に確認してみましょう。
りそな銀行では、「自社株承継信託」のメニューとして主に2種類が紹介されています。
みずほ信託銀行も2種類の事業承継信託を扱っています。
遺言代用タイプ
生前贈与タイプ
三井住友信託銀行には、以下のようなメニューがあります。
遺言代用信託
受益者連続信託
事業承継信託は、円滑に会社を引き継ぐための新しい制度です。現経営者の考えを反映しやすく、複数世代にわたる後継者を指定できるなど、多くのメリットがあります。一方で、遺留分の扱いが不透明だったり、信託契約を使うタイミングが制限される面もあり、注意が必要です。専門家に相談しながら時間をかけて計画を立てることで、会社の将来をより安心できる形でつなげる可能性が高まります。事業承継信託を検討する際は、税制や関係者への説明にも十分配慮し、最適な手段を選びましょう。
著者|竹川 満 マネージャー
野村證券にて、法人・個人富裕層の資産運用を支援した後、本社企画部署では全支店の営業支援・全国の顧客の運用支援、新商品の導入等に携わる。みつきグループでは、教育機関への経営支援等に従事