吸収合併時の退職金は勤続年数支給時期で減額リスクの対策を解説
吸収合併で退職金はどう変わるのか──勤続年数は引き継がれるのか、満額支給されるのかを税理士が分かりやすく答えます。
目次
▶目次ページ:M&Aの種類・方法(合併)
吸収合併は、複数の会社を一つに統合する組織再編の代表的な手法です。消滅会社が蓄積してきた資産・負債・契約上の地位はもちろん、従業員との雇用契約や退職金規程まで、あらゆる権利義務が存続会社へ瞬時に移転します。中小企業のM&Aでは手続のシンプルさから選ばれることが多く、経営者にとっても「会社を残す」か「引き継ぐ」かの選択肢を検討する際に有力なオプションとなっています。
1. 新設会社が不要でコストが抑えられる
新設合併では定款作成・設立登記など新たな法人設立コストが発生しますが、吸収合併は既存会社が存続するため登録免許税や手続コストを圧縮できます。
2. 統合効果を早期に享受できる
部門重複の整理、人材交流、調達・販売ネットワークの統合がスピーディーに進み、合併後すぐにコストシナジー・売上拡大効果を狙えます。
3. 取引先・金融機関との関係を維持しやすい
存続会社の法人格が変わらないため、契約の相手方や金融機関との与信枠などが基本的にそのまま継続され、事業上の混乱を最小限に抑えられます。
これらの流れを的確に管理することで、後工程の退職金対応もスムーズに行えます。
▶関連:吸収合併とは
吸収合併は「会社は変わるが雇用契約は続く」仕組みのため、退職金の支払額や計算基準も基本的に承継されます。それでも“満額支給”と“減額”の分岐点は存在し、合併前の準備と従業員への説明の深さによって結果が大きく変わります。
合併後一定期間は消滅会社の退職金規程がそのまま適用されることが多く、給与テーブルや退職金算定係数も従来通りです。
労働契約が途切れていないため、在籍年数は1日も途切れず通算されます。
例えば勤続20年・月給30万円・支給率20カ月の従業員であれば、合併前と同額の600万円が支給されるイメージとなり、従業員の心理的不安を最小化できます。
事前に退職金制度を統一し減額
存続会社に合わせて係数が下がる場合、労働契約法第9条が定める不利益変更に当たり、労働者の個別同意が前提です。
同意書への署名押印+説明義務
最高裁判例は署名押印=同意と単純には扱わず、合理的理由の提示と十分な説明を求めています。
トラブル事例の教訓
山梨県民信用組合事件では説明不足が核心となり、紛争に発展しました。説明資料の整備や個別面談の記録が欠かせません。
減額時に押さえる実務チェックリスト
吸収合併では、就業規則や労働協約も存続会社に包括承継されるため、合併当日を境に労働契約が消滅することはありません。従業員にとって解雇や大幅な処遇悪化の心配が小さい制度設計といえます。
退職勧奨は提案行為であり、従業員が同意しない場合に解雇へ直結させてはいけません。面談記録を残し、パワハラにならないよう配慮が必要です。
吸収合併に伴い2つの退職金制度が存在する状態は「猶予期間」と呼ばれます。多くの場合1〜2年間が設けられ、その間に新制度を設計し周知します。
吸収合併では勤続年数が通算される一方、事業譲渡では一旦退職扱いになるため勤続がリセットされます。この差は退職金だけでなく、有給休暇日数や永年勤続表彰にも影響を及ぼします。
事業譲渡では勤続がゼロスタートとなり、退職直前の従業員ほど支給額が減少します。従業員処遇を重視するなら吸収合併の方が好適です。
退職金は従業員の将来設計に直結するため、制度改定には強い説明責任が伴います。人事部門は制度設計と説明会運営を担い、経営陣は戦略と整合する水準を示しつつメッセージ発信役を果たすことで、合併時の不安を好機に変えられます。
役員退職金は従業員の退職金と異なり、会社法の規定により株主総会の決議事項です。吸収合併を決議する同じ株主総会で承認を得れば、合併手続と並行して支給の可否と金額を正式に決定できます。役員は経営判断の中心にいるため、長年の貢献度や会社業績を踏まえた個別協議を行い、株主・従業員双方が納得できる透明性を確保することが重要です。
吸収合併後、存続会社の役員に就任する場合でも、消滅会社での任期に対する報酬清算として退職金を支給できます。過去勤務期間に対する対価として位置付け、二重払いを避けるため新任後の役員報酬設定を見直すと公正さを保てます。
存続会社に前払型退職金制度がない場合、消滅会社が積み立ててきた退職給付資産は一時金で清算されがちですが、移換制度を利用すれば従業員の勤続年数と積立残高を次の制度へスムーズに引き継げます。
合併による制度統一で退職金水準を引き下げる場合、合理性と個別同意が不可欠です。従業員の生活設計に直結するため、十分な説明を尽くし納得を得ることが会社のレピュテーションを守ります。
経営環境の変化、人件費構造の最適化、制度間格差の是正など、具体的データを示して理由を説明します。単に「コスト削減」とするだけでは不十分です。
最高裁判例は「署名押印のみでは足りず合理的理由の有無も審査」と判示しました。説明会資料、質疑応答メモ、面談記録を添付し、同意が自由意思である事実を文書で残すことが紛争予防に直結します。
説明会は「聞く場」より「対話の場」と位置付けます。制度改定の背景、シミュレーション例、今後のキャリア支援策など具体的情報を提示し、「質問歓迎」の姿勢を示すことで心理的安全性が高まります。
実例を数字で示すと理解が深まります。
説明会後も質問は続きます。社内ポータルにQ&Aを随時更新し、匿名質問フォームを設ければ、疑問点を早期に収集・解決できます。
山梨県民信用組合事件は、退職金基準変更の説明不足が争点でした。合意書への署名押印があっても「合理的理由」を裏付ける説明がなければ同意の効力を欠くという教訓が得られます。
就業規則変更届、労使協定書、個別同意書、説明会資料の四点セットを整備し、保管年限を明確化します。
税理士や社会保険労務士、弁護士は退職金規程の改定、説明資料作成、合意書式の整備に精通しています。合併契約締結前から関与を依頼すれば、制度統一スケジュールと合併手続を同時並行で設計でき、時間的ロスを減らせます。
税理士は資金計画と税務処理、社労士は労使協議と規程整備、弁護士は同意書式と紛争対応を担い、三者連携でリスクを最小化します。
吸収合併における退職金処理は、勤続年数の継続や移換制度の活用で従業員の安心を守りつつ、役員退職金の透明な決定と減額時の合理的説明で紛争リスクを抑えることが要点です。早期に専門家と連携し、株主・従業員双方が納得できる形で制度統一を進めましょう。
著者|土屋 賢治 マネージャー/M&Aアドバイザー
大手住宅メーカーにて用地の取得・開発業務、法人営業に従事。その後、総合商社の鉄鋼部門にて国内外の流通に携わる傍ら、鉄鋼メーカーの事業再生に携わる。外資系大手金融機関を経て、みつきグループに参画