吸収合併の退職金はどうなる?勤続通算と打切支給の実務

吸収合併では、消滅会社の従業員の雇用契約や退職金に関する権利も原則として存続会社へ引き継がれます。勤続年数を通算する方法、合併時に打切支給する方法、不利益変更への対応、中退共・企業型DCの手続など、経営者が合併前に確認すべき実務を解説します。

目次

  1. 吸収合併では退職金の権利も存続会社へ移る
  2. 勤続年数を通算する場合の退職金計算
  3. 合併時に退職金を打切支給する場合の注意点
  4. 制度統合で退職金が減る場合の進め方
  5. 中退共や企業型DCを利用している場合の手続
  6. 合併契約前に経営者が確認すべき事項
  7. まとめ

吸収合併時の退職金処理の対策を解説

▶目次ページ:M&Aの種類・方法(合併)

吸収合併では退職金の権利も存続会社へ移る

「吸収合併をするなら、従業員へ退職金を支払わなければならない」と考える経営者は少なくありません。しかし、合併しただけで従業員が退職したことにはなりません。

吸収合併では、消滅会社が持つ資産、負債、契約上の地位などを、存続会社がまとめて引き継ぎます。これを包括承継といいます。

従業員との労働契約や、退職金規程に基づく権利義務も、原則として存続会社へ承継されます。従業員は合併日を境にいったん退職して再入社するのではなく、雇用関係を継続したまま存続会社で働く形です。

合併前の勤続期間は原則として引き継がれる

雇用関係が切れないため、消滅会社で働いた期間も原則として将来の退職金計算に反映されます。合併前に15年間、合併後に5年間勤務して退職した場合は、一般に20年間の勤続として扱う考え方です。

存続会社が「会社が変わったから」という理由だけで、合併前の勤続期間をゼロにすることはできません。

ただし、勤続年数が引き継がれることと、退職金の計算式が将来も一切変わらないことは別の問題です。存続会社と消滅会社で退職金制度が異なる場合は、どの計算方法を適用するかを決める必要があります。

退職金の処理は通算と打切支給に分かれる

実務上の対応は、主に次の2つです。


1つ目は、合併時に退職金を支給せず、将来、従業員が存続会社を退職するときにまとめて支給する方法です。一般に「通算」と呼ばれます。

2つ目は、消滅会社での勤務期間に対応する退職金を合併時に支給し、その時点で過去の勤務分を精算する方法です。一般に「打切支給」と呼ばれます。


通算は従業員の勤続を守りやすい一方、異なる制度を長期間管理する負担があります。打切支給は制度を整理しやすい反面、従業員への説明、資金負担、税務上の扱いを慎重に確認しなければなりません。

どちらを選ぶかは、存続会社の都合だけで決めるものではありません。退職金規程、従業員ごとの勤続年数、外部積立制度の有無、合併後の人事方針などを踏まえて判断します。

▶関連:吸収合併とは

勤続年数を通算する場合の退職金計算

通算を選ぶ場合、合併時には退職金を支給しません。従業員が将来、存続会社を退職するときに、合併前後の勤務期間を合わせて退職金を計算します。

従業員にとって分かりやすい方法ですが、制度の違いを放置すると、将来の支給時に計算や説明で混乱することがあります。

勤続年数と計算基準を分けて確認する

退職金額は、勤続年数だけで決まるとは限りません。多くの会社では、退職時の給与、役職、勤続年数、支給率、自己都合退職か会社都合退職かといった要素を使って計算します。そのため、次の事項を分けて確認することが重要です。


  1. 合併前の勤続期間をどのように通算するか
  2. 退職金の基礎となる給与をどう決めるか
  3. 合併前後のどちらの支給率を使うか
  4. 役職や等級の変更をどう反映するか
  5. 自己都合退職や会社都合退職をどう区分するか


勤続期間をすべて通算しても、合併後に低い支給率が適用されれば、将来の受取額が減る可能性があります。「勤続年数は引き継がれます」という説明だけでは不十分です。

制度統合まで旧制度を残す方法もある

合併日に、両社の退職金制度を完全に統一する必要はありません。合併後も一定期間、それぞれの旧制度を残し、その間に新しい制度を設計する方法があります。

制度を急いで統一すると、従業員ごとの影響額を十分に計算できず、後から大きな不利益が判明することがあります。こうしたケースは珍しくありません。

ただし、制度を併存させる期間が法律で一律に決まっているわけではありません。統合までの期間、適用する規程、将来の変更方法を明確にしておく必要があります。

過去勤務分を固定する方法

合併日時点で、消滅会社の退職金規程に基づく退職金相当額を計算して記録し、その金額を過去勤務分として保証する方法があります。

合併後の勤務分については、存続会社の制度で新たに積み上げます。過去分と将来分を分けるため、従業員の既存の権利に配慮しながら制度を統一しやすくなります。

旧制度と新制度を比較する

制度を変更する前に、従業員ごとに将来の退職金額を試算します。

特に影響が大きくなりやすいのは、勤続年数が長い従業員、定年が近い従業員、管理職などです。全社員を一律に見るのではなく、影響が大きい従業員から確認すると問題を把握しやすくなります。

説明用の試算は複数の退職時期で行う

合併直後に退職した場合、5年後に退職した場合、定年まで勤務した場合など、複数の時点で試算します。

1つの時点だけを示すと、その時点では有利でも、長く勤務した場合には不利になる可能性があります。従業員が自分の将来を判断できる資料にすることが大切です。

合併時に退職金を打切支給する場合の注意点

打切支給とは、消滅会社での勤務期間に対応する退職金を合併時に精算し、存続会社では合併後の勤務期間から新たに退職金を積み上げる方法です。

存続会社と消滅会社の制度が大きく異なる場合や、存続会社に同じ退職金制度がない場合には、選択肢になります。

ただし、合併後も勤務を続ける従業員にお金を支給すれば、必ず税務上の退職金になるわけではありません。

打切支給は一方的に決めない

退職金制度は重要な労働条件です。合併時に過去の勤続分を精算し、合併後の勤続年数を新たに数え直す場合は、従業員の将来の権利に影響します。

そのため、会社だけで一方的に決めず、原則として従業員へ具体的な内容を説明し、同意を得たうえで進めます。説明する内容には、少なくとも次の事項を含めます。


  1. 打切支給を行う理由
  2. 支給額の計算方法
  3. 支給日と税務上の扱い
  4. 合併後の退職金制度
  5. 合併後の勤続年数の数え方
  6. 将来退職した場合の計算例


従業員に署名を求めるだけではなく、質問できる時間と検討期間を設けることが重要です。

税務上の退職所得になるかを確認する

通常、退職金は退職所得として扱われます。退職所得には、勤続年数に応じた控除などの税務上の優遇があります。

しかし、吸収合併では従業員が存続会社でそのまま働くため、実際には退職していません。このため、合併時に支払う一時金を「退職金」と呼ぶだけでは、退職所得として認められない可能性があります。

一般に、退職金制度を実質的に変更する合理的な理由があり、合併前の勤務期間に対応する金額を清算し、その期間を将来の退職金計算に重ねて使わない場合には、退職所得として扱われる余地があります。

一方、単に会社の退職給付債務を減らすために一時金を支給した場合や、制度変更の実態が不明確な場合は、給与所得として扱われる可能性があります。

所得区分が変わると源泉徴収額も変わります。支給を決める前に、制度変更の内容と税務処理を税理士へ確認する必要があります。

合併後の勤続期間を明確にする

打切支給後は、通常、合併後の勤務期間を新しい退職金計算の起点とします。

合併前の期間について退職金を支給したにもかかわらず、将来の退職金計算でも同じ期間を使うと、過去勤務分を二重に計算することになります。退職金規程には、打切支給の対象期間と合併後の計算開始日を明記します。

従業員が自由に選べる制度には注意する

打切支給を受けるか、将来へ繰り越すかを従業員が自由に選べる仕組みは、税務上の扱いが複雑になります。

実質的な制度変更による清算ではなく、希望者への臨時の現金支給と判断される可能性があるためです。対象者、支給条件、算定方法を会社の制度として統一し、個別の税務判断が必要な場合は事前に確認します。

制度統合で退職金が減る場合の進め方

存続会社の退職金制度へ統一した結果、従業員の将来の受取額が減ることがあります。退職金の減額は、従業員の老後や生活設計に影響するため、慎重な対応が必要です。

「合併後は存続会社の制度に従ってもらう」と一方的に通知するだけでは、紛争につながるおそれがあります。

個別同意を得る方法が分かりやすい

労働条件を従業員に不利な内容へ変更する場合は、原則として従業員との合意が必要です。退職金が減る場合も、変更前後の内容を具体的に説明し、自由な意思に基づく個別同意を得る方法が明確です。

ただし、個別同意がなければ、どのような場合でも変更できないわけではありません。

変更後の就業規則を従業員へ周知し、不利益の程度、変更の必要性、内容の相当性、労働組合や従業員との話合いの状況などを踏まえ、合理的な変更と認められる場合には、就業規則の変更が有効となることがあります。

もっとも、退職金の減額は影響が大きいため、合理性は慎重に判断されます。個別同意を得ずに進める場合は、弁護士や社会保険労務士への確認が欠かせません。

変更前後の差額を具体的に説明する

説明資料には、旧制度と新制度の計算式だけでなく、従業員ごとの影響額を示します。

「制度を統一します」という抽象的な説明では、自分の退職金がいくら変わるのか分かりません。合併時点、5年後、定年時などの金額を示すと、従業員が判断しやすくなります。

経過措置で急激な減額を避ける

退職金が大きく減る場合は、次のような経過措置を検討します。

  1. 合併前の勤務分は旧制度による金額を保証する
  2. 一定期間は旧制度を継続する
  3. 減額分の一部を調整金として補う
  4. 給与や別の福利厚生とのバランスを見直す
  5. 定年が近い従業員には別の取扱いを設ける

制度を完全に同じにすることだけを優先すると、従業員の不信感が強まり、退職者が増えることがあります。M&A後の事業運営を安定させるには、制度の公平さだけでなく、従業員の納得感も重要です。

説明と同意の記録を残す

説明会資料、質問への回答、個別面談の記録、同意書の交付日と回収日を保存します。

同意書に署名があっても、従業員が変更内容を十分に理解していなければ、後から同意の有効性が争われる可能性があります。減額幅、計算方法、代替措置まで説明し、従業員が検討できる時間を確保します。

中退共や企業型DCを利用している場合の手続

退職金制度には、会社が将来直接支給する制度だけでなく、中小企業退職金共済や企業型確定拠出年金など、社外に資金を積み立てる制度があります。

こうした制度を利用している場合、社内の退職金規程を変更するだけでは手続が完了しません。制度を運営する機関や金融機関との調整が必要です。

中退共は存続会社の加入要件を確認する

中小企業退職金共済は、中小企業の従業員向けの退職金制度です。吸収合併後も存続会社が加入要件を満たす場合は、所定の手続によって契約や掛金納付月数を引き継げることがあります。

合併後の会社名、従業員数、業種、資本金などによって必要な手続が変わります。存続会社が中小企業の範囲を超える場合は、契約をそのまま継続できない可能性もあります。

確認する主な事項は次のとおりです。


  1. 存続会社が中退共の加入要件を満たすか
  2. 消滅会社と存続会社の加入状況
  3. 従業員ごとの掛金納付月数
  4. 契約継続や事業主変更に必要な書類
  5. 合併後の掛金の支払方法


手続が遅れると、掛金の納付や将来の退職金請求に影響することがあります。合併日が決まった段階で、中退共へ事前に確認します。

企業型DCは規約と資産移換を確認する

企業型DCは、企業型確定拠出年金の略称です。会社が掛金を拠出し、従業員自身が運用商品を選ぶ年金制度を指します。

消滅会社と存続会社の両方が企業型DCを導入していても、掛金、加入対象者、運用商品、規約が異なることがあります。片方の会社だけが導入しているケースもあります。

この場合は、合併後の加入資格、規約変更、個人別管理資産の扱い、必要な申請や届出を確認します。

一時金での精算だけを前提にしない

消滅会社が退職一時金制度、存続会社が企業型DCという場合でも、必ず一時金で精算しなければならないとは限りません。

制度間で資産を移せる場合もあるため、移換、経過措置、打切支給などを比較します。従業員の老後資金、会社の資金繰り、税務上の扱い、事務負担を合わせて判断することが重要です。

金融機関や制度運営者との調整を早める

企業型DCなどの制度変更には、規約の変更、従業員への説明、金融機関との調整、行政への申請や届出が必要になることがあります。

合併直前に相談しても、必要な手続が間に合わない可能性があります。合併契約を締結する前から、制度運営者や金融機関へ相談しておくと安全です。

合併契約前に経営者が確認すべき事項

退職金は人事部門だけの問題ではありません。将来の支給額は会社の負債や資金繰りに影響し、合併条件や企業価値にも関わります。

退職金の調査を後回しにすると、合併契約を締結した後で多額の支給負担が判明し、条件の見直しが必要になることがあります。

退職金規程と従業員別データを整理する

合併前に、次の資料を確認します。


  1. 両社の退職金規程と就業規則
  2. 労働協約や従業員との個別合意
  3. 従業員ごとの入社日と勤続年数
  4. 退職金の算定基礎となる給与や役職
  5. 合併日時点の退職金相当額
  6. 将来の退職金支給見込額
  7. 中退共や企業型DCなどの加入状況
  8. 退職給付に備えた積立資産の状況
  9. 通算や打切支給に必要な資金
  10. 従業員への説明と規程変更の予定


従業員別のデータが整っていないと、制度を変えた場合の影響額を計算できません。買い手企業や存続会社も将来の負担を見積もれないため、合併条件の交渉に影響します。

人事、会計、税務、法務を一体で検討する

退職金の処理方法によって、従業員の権利だけでなく、会社の会計処理、税金、必要資金が変わります。

通算する場合は、将来の退職金負担をどのように把握するかが重要です。打切支給する場合は、支給資金と税務上の所得区分を確認します。制度を減額する場合は、従業員への説明と法的な合理性を検討します。

人事担当者だけで結論を出さず、税理士、社会保険労務士、弁護士などと役割を分けて確認すると、見落としを減らせます。

役員退職金は従業員分と分けて考える

役員退職金は、従業員の退職金とは異なるルールで判断します。消滅会社の役員が合併後に退任する場合だけでなく、存続会社の役員へ就任する場合でも、消滅会社での勤務分について打切支給が行われることがあります。

したがって、合併後も役員を続けるから退職金を一切支給できないとは限りません。

ただし、支給額の決定手続、過大な金額になっていないか、会社側で損金にできる時期、役員本人の所得税などを確認する必要があります。役員退職金を支給する場合は、一般に株主総会の決議や、株主総会から委任を受けた機関による適切な決定手続も必要です。

合併後の役職や報酬、支給する理由、金額の計算根拠を記録し、従業員退職金とは別に検討します。

まとめ

吸収合併では、従業員の雇用契約と退職金に関する権利は原則として存続会社へ承継されます。通算と打切支給のどちらを選ぶ場合も、勤続年数、将来の計算方法、税務上の所得区分、不利益変更、中退共や企業型DCの手続を一体で確認することが重要です。合併契約前に従業員別の影響額と必要資金を把握し、十分な説明を経て方針を決めましょう。

著者:竹川 満 マネージャー / M&Aアドバイザー 

野村證券にて、法人・個人富裕層の資産運用を支援した後、本社企画部署では全支店の営業支援・全国の顧客の運用支援、新商品の導入等に携わる。みつきグループでは、教育機関・介護施設等へのM&Aを含む経営支援に従事

編集:M&A事業承継アドバイザーズ 編集部|運営:みつき税理士法人