M&Aで社長が会社譲渡後に選ぶ立場と手取りの注意事項
M&Aで会社を譲渡した後、社長は引退、顧問、続投などの道を選べます。譲渡スキーム、税金、役員退職金、PMI、従業員対応まで、手取りと去就を決める実務ポイントを解説します。
目次

▶目次ページ:事業承継とは(第三者への承継)
M&A(合併・買収)で会社を譲渡すると、社長はすぐに会社を離れるとは限りません。実務では、売却価格だけでなく「社長が譲渡後にどう関わるか」が、買い手企業との交渉や最終契約に大きく影響します。
特に中小企業では、社長自身が営業、人材採用、金融機関対応、取引先との信頼関係を支えていることが多いものです。そのため、買い手企業は株式や事業だけでなく、社長の一定期間の協力も期待します。ここを曖昧にしたまま進めると、希望より長く残ることになったり、逆に早期退任を求められたりすることもあります。
最も分かりやすい選択肢は、クロージング後に代表取締役を退任し、経営から離れる形です。クロージングとは、株式や事業の引渡しと譲渡代金の決済を完了させる日のことです。
ただし、実際には当日退任で完全に終わるケースばかりではありません。従業員、主要取引先、金融機関への説明を終えるまで、数か月から1年ほど引継ぎに協力する形もあります。長年、会社を背負ってきた経営者ほど「もう十分働いた」と感じる一方で、会社をすぐ離れることに寂しさを覚えることも珍しくありません。
完全引退を希望する場合は、譲渡前から買い手企業にその意思を伝え、引継ぎ期間、業務範囲、報酬の有無を最終契約や別契約で整理しておくことが大切です。
中小企業M&Aで多いのは、前社長が取締役、相談役、顧問などの立場で一定期間残る形です。期間は半年から3年程度まで幅がありますが、会社の規模、業種、社長への依存度、買い手企業のPMI方針によって変わります。
PMI(M&A後の統合プロセス)は、M&A成立後に経営、組織、人事、業務などを統合する取組です。M&Aは契約締結で終わりではなく、その後の統合がうまく進むかで、従業員の安心や業績が変わります。
顧問として残る主な目的は、取引先の不安を和らげること、従業員の離職を防ぐこと、買い手企業が現場を理解する時間を確保することです。社長本人にとっても、突然生活が変わるのではなく、段階的に経営から離れられる利点があります。
譲渡後も、社長が代表取締役として続投するケースもあります。たとえば、上場企業や中堅企業のグループに入り、資金、人材、営業網を活用しながら成長を目指す場合です。
この場合、社長は株主としての支配権を失う一方で、経営者としての役割は残ります。借入や資金繰りの重圧が軽くなり、商品開発、営業拡大、人材育成など本来取り組みたかったテーマに集中できることもあります。買い手企業と共にIPOや新規出店を目指すような成長型M&Aでは、続投が重要な条件になることも。
ただし、譲渡前と同じように自由に意思決定できるわけではありません。予算、人事、投資、役員報酬などは、買い手企業の承認ルールに従う場面が増えます。続投を選ぶなら、自分の裁量がどこまで残るかを事前に確認しておきましょう。
「会社を譲渡する」と一口にいっても、使うスキームによって社長の立場、従業員の扱い、税金、手取りが変わります。ここを十分に理解しないまま買い手候補と交渉すると、後から条件を戻すのが難しくなりやすいです。
中小企業の会社譲渡では、株式譲渡がよく使われます。一方で、特定の店舗、事業、資産だけを切り出す場合は、事業譲渡が使われることもあります。どちらがよいかは、会社の状況と社長の希望で異なります。
株式譲渡は、オーナー社長などの株主が保有株式を買い手企業に譲渡し、会社の経営権を移す方法です。会社そのものは存続するため、従業員との雇用契約、取引先との契約、許認可、借入金などは原則として会社に残ります。
社長交代は、譲渡日と同日またはその直後に行われることが多いです。ただし、代表取締役を退任しても、顧問や取締役として残ることはできます。株式譲渡では譲渡対価が個人株主に入るため、オーナー社長が創業者利益を得やすい点も特徴です。
また、役員退職金を同じ時期に支給する設計を検討することもあります。役員退職金は会社から社長個人へ支払われるため、株式譲渡対価とのバランス、会社の資金繰り、税務上の適正額を慎重に確認する必要があります。
事業譲渡は、会社の一部または全部の事業、資産、契約を個別に買い手へ移す方法です。株式ではなく事業そのものを譲渡するため、譲渡対価は原則として売り手企業に入ります。オーナー社長個人が直接売却代金を受け取るわけではありません。
事業譲渡では、従業員の雇用契約が自動的に移るわけではなく、個別の同意や再契約が必要になります。取引先との契約、賃貸借契約、許認可なども個別に確認する必要があり、手続は株式譲渡より細かくなりがちです。
一方で、不採算事業を残して成長事業だけを譲渡したい場合や、買い手が特定の事業だけを取得したい場合には有効です。社長が旧会社に残り、残った事業や清算対応を続けることもあります。
M&Aだけが事業承継の方法ではありません。親族内承継、従業員承継、第三者承継を比較し、自社に合う方法を選ぶことが大切です。
親族や従業員に承継できる可能性がある場合でも、株式の買い取り資金、個人保証、後継者の経営力、相続税や贈与税の負担が問題になることがあります。M&Aは、これらの課題を第三者の資本力や経営力で補える選択肢です。
会社譲渡を決める場面では、メリットばかりに目が向きやすくなります。しかし、譲渡は経営者人生の大きな転換点です。得るものと失うものを分けて考えると、後悔しにくい判断になります。
株式譲渡では、オーナー社長が保有株式を売却することで、まとまった現金を得られます。毎月の役員報酬とは違い、数年分の利益に相当する金額を一括で受け取れることもあります。
この資金は、老後資金、家族への資産承継、新しい事業、投資、社会貢献などに使えます。創業から長く無配で会社に資金を残してきた社長にとっては、会社に蓄積してきた価値を個人資産に変える重要な機会です。
後継者がいないまま社長が高齢になると、廃業の選択が現実味を帯びます。廃業すれば、従業員の雇用、取引先との関係、地域での役割が失われることがあります。
M&Aで買い手企業に承継できれば、社長が退任しても会社は続きます。従業員の雇用や取引先との関係を守りながら、買い手企業の営業力、採用力、資金力を活用して成長できる可能性もあります。長年育ててきた会社が次の世代に残ることは、金額だけでは測れない価値です。
中小企業の借入では、社長が経営者保証をしていることがあります。会社譲渡により、この個人保証から解放される可能性がありますが、自動的に外れると考えるのは危険です。
実務では、買い手企業、金融機関、売り手側の専門家が協議し、保証解除の時期や条件を確認します。最終契約でも、保証解除に向けた買い手側の協力義務や、解除できない場合の対応を整理することがあります。社長にとって個人保証の解除は、家族の安心にも直結します。譲渡価格と同じくらい重視すべき項目です。
会社譲渡のデメリットは、経営権を失うことです。株式譲渡後は、買い手企業が株主になります。社長が続投しても、最終的な意思決定権は新しい株主に移ります。
また、譲渡後に役員報酬がなくなる、または減ることもあります。多額の譲渡代金を受け取っても、毎月の安定収入がなくなる不安は残るものです。生活費、税金、投資方針、家族への資産移転を含め、個人の資金計画を作っておく必要があります。
ロックアップとは、譲渡後も一定期間、社長が会社に残ることを求める契約上の制約です。買い手企業にとっては、急な離脱による事業不安を防ぐための条項です。
売り手社長にとっては、自由な引退時期が制限される面があります。期間、業務内容、報酬、病気や家庭事情が生じた場合の扱いを確認しておきましょう。ここは意外と多い落とし穴です。
会社譲渡で本当に重要なのは、譲渡価格そのものではなく、税金や費用を差し引いた後の手残りです。高い価格で合意しても、税金、仲介手数料、役員退職金の設計を誤ると、想定より自由に使える資金が少なくなることがあります。
個人株主が株式を譲渡した場合、株式の譲渡所得は他の所得と分けて計算します。これを申告分離課税といいます。譲渡所得の金額は、原則として「譲渡価額から取得費と仲介手数料などを差し引いた金額」です。
非上場会社のオーナー社長が株式を譲渡する場合、所得税、復興特別所得税、住民税を合わせた税率は一般に20.315%です。ただし、取得費の証拠が残っているか、過去の増資や株式移動があるか、株主が複数いるかによって計算は変わります。
取得費が分からない場合、概算取得費を使うことがありますが、実際の取得費より不利になることもあります。創業時の払込資料、増資資料、株式譲渡契約書、相続や贈与の資料は早めに確認しておきましょう。
2026年時点で大きな譲渡所得が見込まれる社長は、2027年以後の税制も確認する必要があります。高額所得者向けの負担適正化措置について、2027年以後の所得から特別控除額を1億6,500万円へ引き下げ、税率を30%へ引き上げる見直しが予定されています。
この見直しにより、M&Aで多額の株式譲渡所得が生じる場合、2026年中にクロージングするか、2027年以後になるかで手残りが変わる可能性があります。特に譲渡所得が数億円規模になる場合は、譲渡価格の交渉だけでなく、クロージング時期、納税時期、役員退職金の支給時期を一体で検討することが重要です。
ただし、税制は個人の所得構成や他の所得によって影響が異なります。「2026年内なら必ず有利」と単純に決めるのではなく、早い段階で税理士に試算を依頼しましょう。
オーナー社長が長年会社に貢献してきた場合、譲渡時に役員退職金を支給する設計を検討することがあります。退職所得は、退職所得控除や2分の1課税の仕組みにより、給与として受け取るより税負担が軽くなる場合があります。
ただし、役員等としての勤続年数が5年以下の場合には、退職所得の2分の1課税が使えない部分があります。また、役員退職金は「いくらでも自由に出せる」ものではなく、在任期間、役員報酬、会社への貢献度、同業他社の水準などを踏まえて、税務上不相当に高額とならない範囲で設計します。
買い手企業から見ると、譲渡前に多額の退職金を支給すると会社の純資産や資金繰りが変わります。譲渡価格と退職金は別々に見えても、実務では一体で交渉されることが多いです。
M&Aでは、仲介会社、FA、弁護士、公認会計士、税理士などへの報酬が発生します。着手金、月額報酬、中間報酬、成功報酬の有無は支援会社によって異なります。
成功報酬は、取引金額に応じたレーマン方式で計算されることが一般的です。ただし、どの金額を報酬計算の基準にするか、最低報酬がいくらかによって負担は変わります。契約前に、譲渡価格ごとの概算手数料を確認しておくと安心です。
M&Aは、思い立ってすぐ完了するものではありません。会社の規模や買い手候補の状況にもよりますが、検討開始から成約まで6か月から1年以上かかることが一般的です。買い手候補探し、資料開示、トップ面談、基本合意、デューデリジェンス、最終契約という段階を踏むためです。
最初に行うべきことは、会社の現状整理です。決算書、試算表、借入金一覧、主要取引先、従業員一覧、契約書、許認可、固定資産、在庫、役員借入金などを確認します。
買い手企業はデューデリジェンスで、決算書の正確性、簿外債務、未払残業代、税務リスク、許認可の承継可否、取引先依存などを調べます。デューデリジェンスとは、買い手が対象会社の財務、税務、法務、労務などを調査する手続です。
ここで大きな問題が見つかると、譲渡価格の減額、契約条件の厳格化、場合によっては交渉中止につながります。隠すより、早めに把握して説明できる状態にすることが大切です。
社長が希望する条件は、譲渡価格だけではありません。従業員の雇用継続、社名の維持、取引先との関係、個人保証の解除、役員退職金、退任時期、社長室や社用車の扱いなど、実務的な論点は多くあります。
すべてを満たす買い手が見つかるとは限りません。そのため「絶対に譲れない条件」と「交渉できる条件」を分けておく必要があります。たとえば、価格を少し下げても従業員の雇用継続を優先する社長もいます。逆に、引退後の生活資金を重視して手取りを優先するケースもあります。
M&Aの相談先には、M&A仲介会社、FA、金融機関、公認会計士、税理士、弁護士などがあります。相手探しが得意な支援者もいれば、税務や契約の確認に強い支援者もいます。
中小企業の会社譲渡では、譲渡価格、税金、役員退職金、個人保証、株主構成、相続対策が同時に関係します。そのため、マッチングだけでなく、税務・会計・法務の論点を早めに整理できる体制が重要です。M&A実務では、ここで判断が止まることがあります。
会社譲渡は、契約書に署名して終わりではありません。むしろ、従業員や取引先にとっては、譲渡後の数か月が最も不安な時期です。社長がどのように説明し、どのように買い手企業へ橋渡しするかで、M&A後の安定度が変わります。
M&Aを検討していることを早く伝え過ぎると、従業員が不安になり、退職や噂の拡散につながることがあります。一方で、直前まで何も伝えないと「裏切られた」と感じる従業員もいます。
一般には、買い手企業と基本的な合意が固まり、雇用条件や説明方針が整理された段階で、主要幹部から順に説明することが多いです。説明では、なぜ譲渡を決めたのか、雇用や待遇はどうなるのか、社長はいつまで残るのかを、できるだけ具体的に伝えます。
長年の取引先は、会社そのものより社長個人を信頼していることがあります。そのため、買い手企業だけで説明に行くより、前社長が同席して紹介する方が安心感を与えやすいです。
金融機関対応も同じです。借入金や個人保証がある場合は、譲渡前から金融機関と協議し、買い手企業の信用力、返済方針、保証解除の方法を確認します。ここを後回しにすると、クロージング直前で条件変更が必要になることもあります。
社名を残すか、買い手企業のグループ名に変えるかは、会社の信用や採用に影響します。地域密着型の会社では、旧社名を残す方が取引先に安心されることがあります。
一方で、買い手企業のブランドを使った方が採用や営業に有利な場合もあります。社名、制服、名刺、看板、人事制度、給与制度をいつ変えるかは、PMI方針として事前に確認しておきましょう。
会社を譲渡した後の生活は、成約してから考えるものではありません。譲渡前から「引退するのか、残るのか、次に何をするのか」を考えておくほど、交渉条件も整理しやすくなります。
完全引退を選ぶ場合、譲渡代金をどう管理するかが重要です。生活費、医療費、家族への贈与、相続対策、投資方針を整理しないまま大きな資金を持つと、かえって不安が増えることがあります。
また、会社経営に使っていた時間が急になくなるため、心の準備も必要です。旅行、趣味、地域活動、家族との時間など、引退後の生活を具体化しておくと、譲渡判断が前向きになります。
顧問や相談役として残る場合は、役割を広げ過ぎないことが大切です。何でも前社長に相談が来る状態では、新しい経営体制が育ちません。
取引先紹介、従業員面談、技術承継、金融機関対応など、役割を限定し、いつまでに何を終えるかを決めます。報酬や出勤日数も明確にしておくと、社長本人も買い手企業も動きやすくなります。
代表取締役として続投する場合は、譲渡後の権限を確認します。採用、投資、役員報酬、借入、設備購入、新規事業など、どこまで自分で決められるのかを曖昧にしないことです。
また、譲渡後の評価基準も重要です。売上成長を重視するのか、利益改善を重視するのか、PMIを重視するのかで、社長の動き方は変わります。買い手企業の期待と社長の希望がずれると、せっかく続投しても負担が増えてしまいます。
会社譲渡は、単なる会社の売買ではありません。社長の人生設計、家族の生活、従業員の未来を同時に決める判断です。
譲渡価格だけを追うのではなく、自分が何歳まで働きたいか、家族とどのように過ごしたいか、会社をどのような形で残したいかを言葉にしておきましょう。その言葉が、買い手選びや契約条件の軸になります。
M&Aで会社を譲渡した後の社長の立場は、引退、顧問、続投のどれを選ぶかで大きく変わります。株式譲渡か事業譲渡か、税金や役員退職金をどう設計するか、従業員や取引先をどう引き継ぐかを早めに整理すれば、手残りと安心の両方を守りやすくなります。
著者:竹川 満 マネージャー / M&Aアドバイザー
野村證券にて、法人・個人富裕層の資産運用を支援した後、本社企画部署では全支店の営業支援・全国の顧客の運用支援、新商品の導入等に携わる。みつきグループでは、教育機関・介護施設等へのM&Aを含む経営支援に従事
編集:M&A事業承継アドバイザーズ 編集部|運営:みつき税理士法人