事業売却の相場と価格算定で手取りを見極める実務ポイント
事業売却の相場は、時価純資産とのれんだけでは決まりません。年買法の計算例、業種別の倍率感、税金・手取り、会社売却との違い、従業員や契約の注意点まで、中小企業の経営者が売却判断で確認すべき実務ポイントを平易に解説します。
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▶目次ページ:企業価値評価(価値評価の概要)
事業売却の相談では、「うちの事業はいくらで売れますか」と最初に聞かれることが多くあります。経営者にとって、価格は引退後の資金計画や、会社に残す資金に直結するためです。
事業売却の相場は、一般に「譲渡対象の時価純資産額」と「対象事業の収益力」を中心に考えます。時価純資産額とは、売却する資産を現在の価値に直し、引き継ぐ負債を差し引いた金額です。収益力は、営業利益やEBITDAなど、事業がどれだけ稼ぐ力を持つかを示す数字です。
ただし、計算式だけで売却価格が決まるわけではありません。買い手が欲しいのは、設備や在庫だけではなく、顧客、従業員、ノウハウ、許認可、取引先との関係、地域での知名度などを含めた「事業を続けて利益を出せる仕組み」です。ここを正しく説明できるかで、同じ利益水準でも評価は変わります。
事業売却は、会社そのものを売る株式譲渡とは違います。M&A(合併・買収)の一種ですが、売却対象は会社全体ではなく、特定の事業、資産、負債、契約、人員などです。会社は売り手側に残るため、別の事業を続けたり、不要な部門だけを切り離したりできます。
一方で、事業を切り出す分だけ、対象範囲の整理が難しくなります。どの設備を移すのか、在庫をどう評価するのか、従業員は移籍するのか、取引先との契約を引き継げるのか。こうした点があいまいなまま交渉に入ると、価格以前に話が止まることがあります。
株式譲渡では、株主が株式を買い手に譲渡し、会社のオーナーが変わります。会社が当事者である契約や雇用関係は、基本的に会社に残ります。
事業売却では、会社ではなく事業を構成するものを個別に移します。そのため、契約の再締結、従業員の同意、許認可の確認、資産負債の選別が必要になります。買い手から見ると、不要な負債を避けやすい反面、引継ぎの手間が増える取引です。
相場を知る入口として、実務でよく使われるのが年買法です。年買法は、細かな理論価値を出す方法ではなく、経営者と買い手が大まかな価格帯をつかむための簡易計算です。
基本式は時価純資産とのれんの合計
年買法では、次の考え方で価格目安を出します。
売却価格の目安 = 譲渡対象の時価純資産額 + 対象事業の営業利益 × 2〜5年分
このうち、営業利益の2〜5年分にあたる部分が、一般に「のれん」と呼ばれるものです。のれんとは、帳簿に表れにくいブランド力、顧客基盤、ノウハウ、収益力などの価値を意味します。中小企業の事業売却では、3年分前後をひとつの目安として交渉が始まることもあります。
たとえば、売却したい事業の時価純資産が2,000万円、年間営業利益が1,000万円だとします。営業利益の3年分をのれんとして見る場合、価格目安は次のようになります。
2,000万円 + 1,000万円 × 3年 = 5,000万円
この5,000万円は、あくまで交渉前の目安です。実際には、直近の利益が一時的なものではないか、経営者が抜けても利益を維持できるか、設備更新や人員補充に追加費用が必要かなどを見て調整されます。
赤字事業ではのれんがつかないこともある
赤字事業の場合、営業利益に倍率をかけてもプラスののれんは出にくくなります。設備や在庫などの時価が評価されることはありますが、買い手が立て直し費用や人員補充リスクを負う場合、時価純資産を下回る価格になることもあります。
赤字だから売れない、とは限りません。ただし、買い手にとって明確な意味が必要です。たとえば、商圏を取れる、許認可を活用できる、既存顧客を引き継げる、技術者を確保できるといった理由がなければ、価格交渉は厳しくなります。
事業売却では、年買法だけでなく、複数の算定方法を参考にすることがあります。DCF法は、将来のキャッシュフローを現在価値に直して評価する方法です。キャッシュフローとは、事業から実際に生まれるお金の流れをいいます。成長性が高い事業では参考になりますが、将来計画の前提が変わると評価額も大きく変わります。
時価純資産法は、売却対象の資産と負債を時価で見直して評価する方法です。設備、不動産、在庫などの有形資産が多い事業では使いやすい一方、将来の利益や顧客基盤の価値は反映しにくい面があります。
類似会社比較法は、似た事業を営む会社の評価倍率を参考にする方法です。上場企業のEV/EBITDA倍率などを使うことがありますが、中小企業では規模、成長性、管理体制、オーナー依存度が違うため、そのまま当てはめると実態とずれることがあります。
高く評価されやすい業種の特徴
IT・Webサービス・メディア系の事業は、利益率が高く、固定資産が少なく、拡張しやすい場合があります。そのため、営業利益の3〜5年分、または月間利益の24〜36か月分を目安に交渉されることがあります。もっとも、属人的な開発者や広告運用担当者に依存している場合は、評価が下がりやすくなります。
医療、介護、薬局関連の事業は、需要が比較的安定しやすく、許認可や有資格者の存在が重要です。収益が安定していれば、営業利益の3〜4年分程度が目安になることがあります。ただし、人員配置基準、行政手続、診療圏や商圏の状況によって評価は変わります。
製造業も、独自技術、特許、長期取引先、品質管理体制があると評価されやすい業種です。営業利益の3〜4年分程度が目安になることがありますが、老朽化した設備、特定取引先への依存、職人の高齢化があると、買い手は追加投資や引継ぎリスクを価格に反映します。
建設業では、熟練職人や施工管理者が残るかどうかが価格に大きく影響します。人材不足の中で需要はあっても、経営者個人の営業力や現場管理に依存していると、営業利益の1〜2年分程度に抑えられることがあります。
飲食店、小売、美容関連では、立地、内装、設備、顧客のリピート率が重視されます。流行や近隣競合の影響を受けやすく、スタッフの定着も重要です。黒字でも利益が小さい場合や、店長個人に依存する場合は、のれんよりも設備や造作の価値が中心になることがあります。
業種別の倍率は便利ですが、そのまま自社に当てはめるのは危険です。同じ飲食店でも、駅前一等地で店長が自走できる店舗と、経営者が毎日現場に立っている店舗では、買い手の見方が違います。同じ製造業でも、図面、工程、顧客対応が社内に残っている会社と、社長の頭の中にしかない会社では、引継ぎリスクが大きく変わります。
相場は出発点です。最終価格は、買い手が「買収後にどれだけ安全に利益を出せるか」を見て決めます。
計算上の価格が同じでも、実際の提示額は上下します。ここで差が出ます。買い手は、決算書に表れないリスクと、買収後に増やせる利益の両方を見ています。
売上規模よりも、実際にいくら利益が残るかが重視されます。特に事業売却では、売却対象事業だけの売上、原価、人件費、共通費、設備負担を分けて見られます。全社では黒字でも、切り出した事業単体では利益が薄いことは珍しくありません。
特許、独自技術、地域での高いシェア、特定分野のノウハウは、価格を押し上げる要素になります。買い手にとっては、ゼロから参入する時間と費用を買う意味があるためです。
ただし、「うちは技術力がある」という説明だけでは足りません。どの製品で利益が出ているのか、誰が技術を持っているのか、図面やマニュアルに残っているのか、競合が簡単にまねできない理由は何か。ここまで整理して初めて、価格交渉の材料になります。
長年の取引先やリピーター顧客は、強い無形資産です。買い手は、新規営業にかかる時間を短縮できます。特定の大口先に売上が偏っていないか、契約書が整っているか、過去のクレームや未回収債権がないかも確認されます。
顧客リストがあっても、実際に連絡できる状態か、個人情報の管理に問題がないか、担当者が退職しても関係が続くかは別問題です。意外と多い落とし穴です。
買い手が高く評価するのは、経営者が抜けても回る事業です。業務マニュアル、権限分掌、店長や部門長の育成、原価管理、月次管理、クレーム対応の仕組みがあると、買収後の不安が減ります。
逆に、社長だけが見積りを作り、社長だけが顧客を握り、社長だけが人材を採用している場合、買い手は「社長がいなくなったら利益も消える」と見ます。この場合、相場より低い価格になることがあります。
シナジーとは、買い手と売り手の事業を組み合わせることで生まれる相乗効果です。たとえば、買い手が自社商品を既存顧客に販売できる、仕入れをまとめて原価を下げられる、空いている工場や人員を活用できるといった効果です。
シナジーが明確な買い手は、一般的な相場を超える価格を提示することがあります。反対に、財務的な数字だけを見る買い手には、強い上乗せは期待しにくくなります。高く売るためには、自社を高く評価する理由を持つ買い手を探すことが重要です。
法人が事業を売却して譲渡益が出た場合、その譲渡益は会社の利益として扱われます。通常は、他の損益と合算したうえで、法人税、地方法人税、法人事業税、法人住民税などの対象になります。税負担は会社の規模、所得金額、所在地などで変わります。
ここで注意したいのは、売却代金がそのままオーナー個人に入るわけではない点です。事業売却の対価は会社に入ります。オーナー個人が資金を受け取るには、役員退職金、配当、残余財産の分配など別の出口を考える必要があります。その段階でさらに税金が生じることがあります。
個人株主が株式譲渡で会社を売却する場合、株式の譲渡益は申告分離課税となり、所得税、住民税、復興特別所得税を合わせて20.315%が基本です。会社全体を手放してよい場合、税務上は株式譲渡の方が手取りを計算しやすいことがあります。
ただし、会社に不要な事業や引き継ぎたくない負債がある場合、買い手が株式譲渡を避けたいと考えることもあります。税金だけでスキームを決めるのではなく、買い手が受け入れやすい形と、オーナーの手取りを合わせて検討する必要があります。
事業売却では、譲渡対象に有形固定資産や棚卸資産、営業権などが含まれる場合、課税資産に該当する部分に消費税がかかります。一方で、土地や有価証券など、非課税となる資産もあります。そのため、譲渡対価を資産ごとに合理的に区分することが大切です。
消費税は形式上、買い手が支払うものです。しかし買い手には総予算があります。たとえば、買い手の予算が税込みで決まっている場合、消費税分だけ本体価格を下げたいという交渉になることがあります。価格交渉では、税抜き価格と税込み負担の両方を見ておくべきです。
売り手側では、譲渡対価と移転する資産・負債の帳簿価額との差額が、事業譲渡益または事業譲渡損として処理されます。買い手側では、取得した資産・負債を認識し、支払額との差額がのれんとして処理されることがあります。
会計処理そのものは専門的ですが、経営者が押さえるべき点はシンプルです。売却価格、税金、会社に残る現金、オーナー個人に移せる金額は同じではありません。売却価格だけで判断しないことが大切です。
事業売却で高い価格を目指すなら、交渉が始まってから慌てても間に合いません。買い手が最初に見る資料の精度で、事業への信頼度が決まります。
最初に行うべきことは、売却したい事業だけの損益と資産負債を分けることです。全社の決算書しかない場合、買い手は対象事業の利益を判断できません。
売上、原価、人件費、家賃、広告費、物流費、共通費の配賦、設備、在庫、売掛金、買掛金をできる範囲で整理します。完璧な部門別会計でなくても、合理的な分け方を説明できることが重要です。
単年度の利益だけでは、安定性を判断しにくいです。直近3年分の売上、粗利、営業利益、主要顧客、従業員数、設備投資の推移を整理すると、買い手は事業の流れを理解しやすくなります。大きな増減がある場合は、その理由も説明しておきます。
事業売却では、何を売り、何を残すかを明確にする必要があります。設備、在庫、商標、ドメイン、電話番号、顧客リスト、契約、許認可、従業員、借入金、リース契約など、対象を一つずつ確認します。
ここが曖昧だと、買い手は価格を出せません。特に、取引先との契約や店舗賃貸借契約は、相手方の承諾が必要になることがあります。許認可が買い手にそのまま移らない業種もあります。
事業を高く評価する買い手は、必ずしも一番大きな会社とは限りません。同業で商圏を広げたい会社、隣接業種に参入したい会社、人材を確保したい会社、既存設備を活用したい会社など、買収目的によって提示価格は変わります。
1社だけと交渉すると、条件の妥当性を判断しにくくなります。守秘を徹底しながら、複数の候補先の関心度、資金力、従業員の処遇、取引先への影響を比べることが望ましいです。
高い価格を提示されても、従業員の雇用が不安定になる、主要取引先が離れる、支払条件が厳しい、表明保証の範囲が重いといった場合は注意が必要です。表明保証とは、契約時に売り手が一定の事実を真実だと約束する条項です。違反すると、後で損害賠償問題になることがあります。
事業売却を本格的に進める前に、簡易的な価値算定を受けることは有効です。相場を知るだけでなく、どの資料が不足しているか、買い手がどこを不安視しそうかを把握できます。
ただし、無料査定や簡易算定の金額は、成約価格を保証するものではありません。入力した決算数値や前提に大きく左右されます。複数の見方を参考にしつつ、税金と手取り、売却後の会社運営まで含めて検討することが大切です。
事業売却では、価格交渉だけに意識が向きがちです。しかし実務では、従業員、取引先、競業避止義務、情報管理でつまずくことがあります。ここで失敗すると、相場どおりの価格でも成約できません。
株式譲渡では、会社との雇用契約は基本的にそのまま続きます。一方、事業売却では、従業員が買い手に移る場合、個別の同意や新たな雇用契約が必要になります。
従業員にとっては、給与、勤務地、評価制度、福利厚生、上司、働き方が変わる可能性があります。説明のタイミングが早すぎると不安が広がり、遅すぎると不信感につながります。M&A実務では、ここで判断が止まることがあります。
事業売却では、取引先との契約を買い手が引き継げるとは限りません。契約書に譲渡禁止条項や事前承諾条項がある場合、相手方の同意が必要です。店舗賃貸借契約やフランチャイズ契約でも、同じような問題が生じます。
買い手は、売却後も売上が続くかを見ています。主要取引先の同意が取れない可能性がある場合、そのリスクは価格に反映されます。
事業売却では、売り手が売却後に同じ事業を再開すると、買い手が取得した顧客やノウハウの価値が損なわれます。そのため、競業避止義務が問題になります。競業避止義務とは、一定期間、一定地域で同じ事業を行わない義務です。
会社法上は、事業を譲渡した会社について、原則として一定の地域で20年間、同一の事業を行わない扱いがあります。ただし、実務では契約で期間、地域、対象事業を具体的に定めることが多いです。範囲が広すぎると、売り手の将来の事業活動を過度に制限するため、慎重な調整が必要です。
売却交渉中の情報漏洩は、従業員の退職、取引先の不安、金融機関の警戒につながります。買い手候補に資料を開示する前には、秘密保持契約を結びます。社内で情報を共有する範囲も、必要最小限に絞ります。
「従業員に早く伝えた方が誠実だ」と考える経営者もいます。気持ちは自然です。ただ、伝える順番と内容を誤ると、事業価値そのものが下がります。誰に、いつ、何を伝えるかは、交渉状況を見ながら設計する必要があります。
事業売却の相場は、時価純資産額と営業利益の数年分を出発点に考えます。ただし、最終価格は業種、収益の安定性、顧客基盤、自走できる体制、買い手とのシナジー、税金や契約リスクで変わります。価格だけでなく手取りと引継ぎ条件を整理し、早い段階で対象事業の資料を整えることが重要です。
著者:竹川 満 マネージャー / M&Aアドバイザー
野村證券にて、法人・個人富裕層の資産運用を支援した後、本社企画部署では全支店の営業支援・全国の顧客の運用支援、新商品の導入等に携わる。みつきグループでは、教育機関・介護施設等へのM&Aを含む経営支援に従事
編集:M&A事業承継アドバイザーズ 編集部|運営:みつき税理士法人