アーンアウト条項の活用でM&Aの成功率を最大化する方法を解説
「アーンアウト条項って何?」そんな疑問に税理士が即答します。買収価格を業績に連動させる仕組みを使えば、買収側のリスクを抑えつつ売却側の潜在価値を最大化できます。メリットや注意点、導入しやすい企業の特徴、失敗しない設計ポイントまで丁寧に紹介します。
目次
▶目次ページ:第三者承継とは(M&Aのメリット・デメリット)
M&Aでは、買収価格(対価)を「今すぐ払う基本価格」と「将来条件が満たされたら払う追加価格」に分けることで、買収側と売却側の評価ギャップを埋める手法が存在します。その代表例がアーンアウト条項です。アーンアウトとは、買収後◯年間に設定した財務指標──売上高、営業利益、EBITDA、純利益、フリーキャッシュフローなど──が目標値を達成したときだけ追加対価を支払う仕組みです。達成できなければ追加対価ゼロ、超過達成なら上限まで支払うなど、柔軟に設計できます。企業価値の不確実性が高いスタートアップや再生案件で「将来の伸びしろ」を価格に反映する道具として重宝され、米国ではクロスボーダー案件の定番となっています。
買収価格を二段階に分ける最大の理由は「リスクの適切配分」です。買収側は最初に支払う額を抑え、ビジネスが計画どおり伸びたときにのみ追加で支払うため、資金流出と失敗リスクを同時に低減できます。一方、売却側は自社の成長に自信があるほど高額対価を得られる期待が高まり、交渉がまとまりやすくなります。結果としてM&A自体の成立確率が上がる点が大きな特徴です。
評価指標には「売上高」「営業利益」「純利益」「EBITDA」「営業キャッシュフロー」「フリーキャッシュフロー」などが用いられます。売却側は会計方針の違いによる影響が小さい“上段指標”を好み、買収側は実質利益を映す“下段指標”を重視する傾向があり、両者の希望が食い違う場合は複数指標の組合せや非財務指標(契約件数・顧客維持率など)の併用で妥協点を探るのが定石です。
アーンアウトには、目的と計算方法の違いから「企業価値連動型」「プロフィットシェア型」「ロスシェア型(逆アーンアウト)」の三つが存在します。それぞれの特徴と国内事例を見てみましょう。
企業価値連動型では、買収後にEBITDAなどの業績が目標を上回った場合に企業価値を再評価し、当初価格との差額を追加で支払います。2019年にPKSHA Technologyがアイドラ社を買収した案件では、EBITDAが一定額を超えたとき0〜22億円超を追加対価として支払う仕組みが採用されました。基本価格に加えて“成果分”を上乗せするため、売却側は将来の伸びを価格に反映でき、買収側は実績を見極めた後に支払えるメリットがあります。
プロフィットシェア型は、一定期間に稼いだ利益の一部を売却側へ還元する仕組みです。2018年のマネックスグループによるコインチェック買収では、取得価格36億円に加え「今後3年間の当期純利益合計の1/2を上限」とする追加支払いが公表されました。直接企業価値を見直すのではなく“稼いだ利益を山分けする”考え方で、売却側は短期的な利益創出へのインセンティブを得られます。
逆アーンアウトとも呼ばれるロスシェア型は、買収後に一定以上の損失が発生した場合、売却側がその損失の一部を負担する契約です。2008年に新生銀行がGEの消費者金融事業を取得した際には、「グレーゾーン損失が2,039億円を超えた場合、超過分をGEが補償する」条項が盛り込まれました。買収側は想定外の大幅赤字を避けられ、売却側は補償する代わりにより高い基本価格や良い買主を得やすくなるというバランスが働きます。
アーンアウトは単なる支払い延期策ではなく、両者の利害を巧みに一致させる“交渉の潤滑油”です。ここでは買収側と売却側それぞれのメリットを整理します。
買収側にとって最大の利点は初期キャッシュアウトの削減です。銀行借入や株主資金に頼らずともディールに踏み切れるため、複数案件を同時並行で追える余裕が生まれます。また、実際に成果が出た分だけ追加で払う仕組みは「将来リスクを売却側と共有する」形となるため、過大評価による減損損失のリスクも抑制可能です。さらに、売却側経営者が目標達成のためM&A後もコミットし続けることで、PMI(統合後経営)の成功率も高まります。
売却側が得る主な恩恵は、上振れ余地のある高額対価です。たとえばスタートアップが自信のある成長計画を提示し、「目標達成時に追加で◯億円」と定めれば、現状利益が小さくても将来価値を価格に載せられます。希望額と買収側の許容額に乖離があっても「とりあえず基本価格で合意し、差額はアーンアウトで調整しよう」という柔軟な交渉が可能になり、ディールが成立しやすくなる点も重要です。
メリットだけではありません。アーンアウトは条件設定が複雑になりがちで、買収側・売却側ともに追加リスクを負います。
条件交渉が長期化するほど、競合に横取りされる“ディールリスク”が高まります。さらに、買収後は目標達成の判定や追加支払い手続を毎年行う必要があり、財務・法務・経営管理の負担が増大します。売却側経営者が離脱した後もモニタリングを続ける体制を事前に整備しなければ、追加対価の計算ミスや支払遅延によるトラブルが発生しかねません。
売却側が抱える最大の不安は「頑張っても外部要因で目標未達となり、結局追加対価を受け取れないかもしれない」点です。景気後退や規制強化などが直撃すれば、努力だけではどうにもならない場合があります。また、買収側がグループ再編を行うと目標指標の算定ベースが変わる可能性があり、売却側は経営の自由度が制限されるうえ、モニタリングもやりにくくなります。
アーンアウトは万能ではなく、“適材適所”でこそ機能します。では、どのような企業が導入を検討しやすいのでしょうか。
短期間で急成長が期待されるスタートアップは、現状利益と将来企業価値の乖離が大きいため、アーンアウトと特に相性が良いです。革新的技術やサブスクリプションモデルのSaaS企業などは、数年後のARR(年間経常収益)急伸を追加対価に反映させる設計がしばしば用いられます。
赤字が続く事業再生フェーズの企業でも、スポンサー支援で黒字化が見込まれる場合は「回復後の利益を基準に追加支払う」仕組みで合意しやすくなります。買収側はリスクを抑え、売却側は再生成功時にリターンを得られるため、Win–Winとなります。
オーナー社長がM&A後も一定期間経営に携わる案件では、アーンアウトが強いモチベーション装置になります。目標達成で追加対価が支払われるため、従来の経営陣が主体的にビジネスを伸ばす意識を保ちやすく、買収側にとっても人的資本の流出を防ぐ効果があります。
アーンアウトを成功させるには、目標指標・評価期間・再売却制限などを細部まで設計し、「誰が読んでも同じ結論になる」契約書を作成することが不可欠です。ここでは、特にトラブルが起きやすい三つの論点を深掘りし、実務で採用される具体的なノウハウを紹介します。
指標を一つだけに絞ると、経営環境の変化や単年度のイベントで未達になるリスクが高まります。そこで複数指標を組み合わせる「バスケット方式」が有効です。たとえば「EBITDAが5億円超かつ年間解約率が5%未満なら追加対価支払い」のように、財務と非財務の両面で達成を判定する方法です。
EBITDA選択時の会計方針差異を防ぐ方法
EBITDAは減価償却費を調整して利益を測るため、固定資産の償却方法や耐用年数が変わると数値が大きく変動します。契約書には「EBITDAは日本基準を適用し、買収完了日前と同一の会計方針を継続して計算する」と条文化し、会計方針を買収側単独では変更できない旨を記載するのがポイントです。
非財務指標活用で現場パフォーマンスを反映
SaaS企業では顧客チャーン率、ゲーム会社では月間アクティブユーザー数(MAU)など、財務数字では把握しにくい実質的な競争力を指標にすることがあります。非財務指標は監査手続きが難しいため、「第三者監査法人の保証付きレポートをもって判定する」「データ抽出ロジックを両社が共同保管する」など検証プロセスを契約書に盛り込むと紛争を防げます。
指標 | 売却側メリット | 買収側メリット | 典型的リスク |
---|---|---|---|
売上高 | 達成しやすい | 規模拡大効果 | 無理な値引き受注 |
EBITDA | キャッシュ創出を強調 | 実質収益を把握 | 会計方針差異 |
純利益 | 最終利益を反映 | 企業価値と連動 | 税効果で変動 |
フリーCF | 借入返済能力を示す | 財務負担を把握 | 設備投資影響 |
サブ指標でバランスを取る二重ロック方式
例として主要指標をEBITDA、サブ指標を売上高に設定し、「EBITDAが目標の90%以上かつ売上高が前年同期比15%以上増なら追加対価支払い」と定めると公平性が高まります。
評価期間は1~5年が目安ですが、業界の投資回収期間によって最適解が異なります。製薬ベンチャーのように開発期間が長い業種では5年以上、BtoCサービスでは1~2年の短期設定が多いです。
短期設定は集中管理で早期に成果判定
外部要因の影響を小さくし、売却側経営者が在任中に成果を確定できます。小売チェーンやオンラインサービスなど迅速な意思決定が求められる業界で効果的です。
長期設定は一過性要因を平準化
建設やインフラなど受注時期で業績が変動しやすい業界では、3年以上の長期設定で平均値を取ると公平性が保たれます。
買収側がグループ再編や大型投資を実施し、EBITDAが一時的に悪化する場合に備え、「一時費用はEBITDA計算から除外する」などの調整条項を盛り込みます。
経営判断例外条項で柔軟性を確保
市場全体が大幅に縮小した場合は目標値をリベースできる条項を設置し、双方の公平性を保ちます。
買収側がアーンアウト期間中に対象会社を再売却すると、売却側は追加対価を受け取れないリスクがあります。
ペナルティ支払型で買収側の自由度確保
「再売却時は未経過分を全達成とみなし、一括で支払う」方式は買収側の戦略変更を妨げません
加速支払型で売却側の収益権保護
一定価額で再売却した場合、売却側に再売却益の一定割合を還元する方法です。
再売却先で会計方針が変わるリスクを抑えるため、売却側に監査権限を付与し、Big4系ファームの共同選任でレビューを行う仕組みが多用されています。
第三者機関の裁定条項で迅速に決着
「Earn‐Out Disputeは会計士仲裁委員会に付託し、30日以内に裁定」と定めると迅速に決着します。
ケース:基本価格5億円、評価期間2年間、目標EBITDA各年度3億円、超過分に3倍、上限5億円
追加対価1.5億円で総買収価格は6.5億円となります。数値例を契約書添付資料に示すと誤解を防げます。
アーンアウト対価の取扱いは税法と会計基準で異なるため、税理士と公認会計士が連携して整理する必要があります。
オーナー個人が株主の場合、「実質が役務提供対価なら給与所得」と判断されるリスクがあります。契約書に「追加対価は株式譲渡代金として支払う」と明記し、役員退任後の支給スケジュールを設けると安全です。
オーナー残留時には役員報酬との二重課税に注意
役員報酬を市場水準まで減額し、アーンアウト計算式から労務分を除外すると二重課税を防げます。
IFRSでは取得日公正価値でのれんに計上し、毎期公正価値を再測定してPLに反映します。
IFRSと日本基準での処理差を理解
日本基準では追加対価支払時点でのれんを修正する方法が多く、IFRSとの違いを連結決算で調整する必要があります。
共通の財務モデルを作り前提を共有します。
LOI段階で枠組みに合意しておくと交渉打切リスクが低減します。
財務DDとビジネスDDでKPI根拠を確認し目標をアップデートします。
Definitionsセクションに頭字語をまとめ、サンプル計算表を添付するのがトレンドです。
ICCやJCAA仲裁条項を定め、オンラインデータルームで月次試算表を共有します。
ARRとEBITDAを目標に設定し2年で達成、追加対価20億円を受領。買収側は株式公開で含み益を獲得しました。
「5年間で営業利益毎年20%増」という過大目標が未達となり、売却側が訴訟に踏み切りました。指標と会計方針の明確化不足が原因です。
中核従業員にもミニアーンアウトを設定し離職率を低下させます。
現行システムを1年維持しデータマッピング後に統合すると算定基準がぶれません。
月次経営会議で1,000万円以上の投資を共同決裁とし、追加対価に影響する施策を協議します。
追加対価支払い年でもDSCRを維持するため、レンダーと例外承認やコミットラインを事前に協議します。
累計判定方式なら可能。
スライディングスケール方式を採用。
契約で固定レートかスポットレートを明示。
指標と算定方法を開示できれば可能。
Earn‐Out Shares方式で実施例あり。
譲渡対価なら不要、報酬扱いなら要確認。
日本基準では両方がPLに影響。
紛争リスクが高く推奨されない。
再生計画と整合すれば可。
書面合意の手続を明記。
米国では案件の約30%に導入され、日本の約5%より普及。欧州ではGDPRコストを指標算定から除外する条項が増えています。クロスボーダー案件では為替と会計基準差異を調整する三段階計算手順を契約書に図解で記載するのがトレンドです。
アーンアウト条項は買収価格の一部を業績連動にする仕組みです。買収側は初期負担とリスクを抑え、売却側は成長分を対価に反映できます。指標・評価期間・再売却・税務会計を緻密に設計し、専門家と協働してPMIとモニタリング体制を整えれば、双方のメリットを最大化し紛争を未然に防げます。
著者|竹川 満 マネージャー
野村證券にて、法人・個人富裕層の資産運用を支援した後、本社企画部署では全支店の営業支援・全国の顧客の運用支援、新商品の導入等に携わる。みつきグループでは、教育機関への経営支援等に従事