事業譲渡での社員の雇用継続と待遇維持を実現する方法を解説
事業譲渡で社員の雇用や退職金はどうなるのか? 雇用契約の再締結や待遇変更のポイントから有給休暇・未払賃金の精算、転籍同意書取得の留意点まで、実務で役立つ移行手順を税理士が分かりやすく解説します。
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▶目次ページ:M&Aの種類・方法(事業譲渡)
事業譲渡は会社の戦略上有効ですが、社員にとっては職場や待遇が大きく変わる可能性があります。譲渡企業と譲受企業が協力し、社員の不安を軽減する説明と配慮が欠かせません。
事業譲渡では元の雇用契約が終了し、譲受企業と新たに契約を結ぶのが原則です。職業選択の自由があるため、社員が同意しない限り契約は成立しません。三者で十分に協議し、書面で同意を得ることが必要です。
就業規則・給与体系などの労働条件は譲受企業で見直される場合があります。社員にとって不利益とならないよう、譲渡企業・譲受企業・社員の三者で条件を擦り合わせることがトラブル防止に直結します。
新しい人間関係や業務フローへの適応は大きなストレスになります。人材流出を防ぐには、事前説明会や個別面談、メンター制度などのサポート体制を構築し、社員の声を丁寧に拾い上げることが効果的です。
雇用契約の再締結プロセスを誤ると、法的リスクだけでなく企業価値にも悪影響が生じます。ここでは契約締結の要所を確認します。
この順序を明確に示すことで、社員は将来像を掴みやすくなります。
配置転換や出向、希望退職など複数の選択肢を早期に示し、強制と受け取られないコミュニケーションを徹底することで紛争を回避できます。
退職金は会社都合か自己都合かで支給額が変動します。制度を誤解すると不公平感が生まれるため、社内規程と税務上の取り扱いを正確に示すことが不可欠です。
転籍同意者の退職金は①譲渡企業が譲渡前に支払う、②譲受企業が金額相当を引継ぐ、の二方式があります。どちらを採用しても計算根拠と負担分を明文化し、社員に説明しておく必要があります。
会社都合退職の場合は勤続年数に応じた控除が手厚くなります。転籍が本人の意思によるか、会社都合かを明確に区分し、源泉徴収票の備考欄にも理由を記載して誤課税を防ぎます。
譲渡企業は事業譲渡日までの賃金・残業代を清算しなければなりません。有給休暇は原則消滅しますが、双方協議により譲受企業で引継ぐ方が社員満足度は向上します。
労働契約の承継手続きを体系化し、書類を一元管理することで、監査対応や後日の紛争時に備えられます。
十分な説明資料と質疑応答の時間を確保した上で転籍承諾書を回収します。説明と同意のプロセスが曖昧だと、後に無効を主張される恐れがあります。
譲受企業は雇用条件通知書を用いて給与・就業時間・退職金制度を詳細に示し、署名押印を得ることで合意内容を証拠化します。
事業譲渡が中止になるケースも想定し、説明対象とタイミングを段階的に広げます。過度な早期開示は士気低下を招くため注意が必要です。
転籍は人材確保を目的とする事業譲渡で前提条件となることが多いですが、心理面・待遇面双方のケアが不可欠です。
長年社長と歩んできた社員は「見捨てられた」と感じやすいものです。経営者自らが意図と将来像を語り、キャリアパスを提示することで安心感を醸成できます。
譲受企業の制度・文化を説明するオリエンテーションや、既存社員をメンターに据えた伴走支援は、新環境への不安を軽減し定着率を高めます。
移行時点で待遇を下げないことは大前提です。加えて、業績目標達成時に昇給・役職付与を明示することで、社員は中長期的な成長を描けます。
事業譲渡に伴い余剰人員が発生しても、安易な解雇は労働契約法で制限されています。
経営上の必要性・解雇回避努力・人選合理性・手続相当性の四要件を満たさない解雇は無効となる可能性があります。希望退職や配置転換を優先し、最後の手段としてのみ整理解雇を検討します。
部署替えや譲受企業への出向を活用し、社員に新しい職務経験の機会を提供することで、雇用維持とスキルアップを両立できます。
退職勧奨はあくまで提案であり、社員の自由意思を尊重する姿勢を示さなければ、不当解雇として訴訟リスクが生じます。
情報の出し方一つで移行成否が決まります。段階的な開示と双方向の対話が欠かせません。
基本合意前は経営層に限定し、基本合意後に部門責任者へ、最終契約締結後に全社員へ公表する流れが混乱を最小化します。
面談窓口を設け、ストレスチェックや外部カウンセラーと連携したケア体制を整備することで、退職予防と早期フォローを実現します。
譲渡企業が行うべき3つの初期説明
最初に全体像を示すことで、風評被害や誤解を防ぎます。
譲受企業が提示すべき5つの安心材料
数字やモデルケースを示すと、社員は具体的に将来をイメージできます。
労務デューデリジェンスのチェックポイント
譲受企業はこれらを事前に把握し、買収後の費用や対応策を合意書に反映させる必要があります。
退職金引継ぎ時の計算例
譲渡企業での勤続年数が15年、退職金規程により支給額が600万円の場合、譲渡価格から退職金相当額600万円を控除し、譲受企業が引継ぐ方式を採ることでキャッシュアウトを抑制しつつ社員の権利を保全できます。
有給休暇承継の合意書例
有給休暇20日を保有する社員が転籍する場合、譲渡日以降に譲受企業で20日を付与すると明記しておくと、後日の認識違いを防げます。
主要人材流出防止のインセンティブ設計
譲受企業がストックオプションや業績連動型賞与を提示し、1年間の在籍を条件に付すことで、PMI期間の定着率向上を図る事例が多く見られます。
人員再編と資金繰りのシミュレーション
退職勧奨で10名、平均退職金400万円を支給する場合、総額4,000万円が一時支出となり運転資金に影響します。早期退職優遇加算を設定する際は、資金計画と税務処理を並行して検討する必要があります。
買収完了から90日間は最重要期間です。以下のアクションプランを設定すると統合を加速できます。
短期目標を区切ることで、社員が段階的に変化を受容しやすくなります。
ケーススタディ 未払残業代
譲渡企業が過去2年分の残業代を計上していなかった事例では、譲受企業が引継ぎ後に社員から請求を受け、約1,200万円の追加支出が発生しました。DD段階で労働時間管理体制を確認し、譲渡価格の調整条項を設けていれば防げた典型例です。
ケーススタディ 退職金区分
転籍を拒否した社員を自己都合退職扱いとした結果、労働基準監督署から会社都合退職と認定され追徴課税となった事例もあります。「本人の自由意思」を証明できる書面を残していなかったことが原因でした。
これらを踏まえ、専門家の伴走支援を受けることが成功への近道です。
事業譲渡の完了後、経営効率化を目的に人員数を見直すケースがあります。法律上は「事業譲渡を理由とした解雇」は認められないため、段階的な雇用調整策を講じる必要があります。
退職勧奨は会社から提案するだけで強制力はありません。面談記録や提案書を残して「自発的判断」であることを証拠化し、過度な圧力をかけない姿勢を示すことが紛争回避につながります。
定年前に退職する社員に割増退職金や再就職サポートを提示すると応募率が向上します。加算金の原資は一時的に負担が増えますが、長期的な人件費削減効果と比較して総合判断します。
希望退職は会社都合退職となるため、雇用保険給付開始が早まり社員の生活不安を軽減できます。募集要項には応募対象・募集人数・加算額の算定基準を明記し、透明性を確保します。
経営上の必要性が明確で、回避努力を尽くし、人選に合理性があり、労使協議を十分に行った場合に限り整理解雇は有効とされます。必要資料を整備し、弁護士と連携してから実施可否を判断します。
有期雇用契約は最長3年までとし、更新基準を就業規則に定めておけば、事業譲渡後にスムーズな人員調整が可能です。
事業譲渡は社員にとってチャンスにもリスクにもなり得ます。メリットを伸ばし、デメリットを軽減する対策が重要です。
これらを具体的な事例や職務モデルで示すと、社員は自分事として将来像を描けます。
現行制度と譲受企業制度の比較表を配布し、差異が生じる項目について補填策や移行措置を提示すると不満が緩和されます。
短期的には移行一時金や在籍奨励金、長期的には業績連動賞与やストックオプションを組み合わせ、離職防止と成果向上を同時に狙います。
営業エースがキャリア不安を理由に退職した例では、譲受企業CEOが面談し、報酬モデルと権限を明確化することで慰留に成功しました。キーパーソン把握と直接対話が鍵です。
理念の違いで衝突が生じた事例では、両社の価値観を共有するワークショップを開催し、新たな共通ビジョンを策定。文化融合の場を設計すると早期沈静化を図れます。
譲渡後に残業手当が削減され、手取りが減ったことで離職が増えた例では、「前年手取り保証」を1年間導入し、その間に成果連動型へ移行することで定着を回復しました。
システム統合作業が予定より遅延し混乱した例では、IT・人事・経理ごとにKPIを設定し、週次で達成率を公表する仕組みを導入。情報の透明化が課題解決を加速しました。
譲渡前に次の項目を点検し、全て◯ならリスクは最小化できます。
チェック項目 | 対応状況 |
---|---|
転籍同意書の取得プロセスを明文化 | ◯ |
未払賃金・残業代の精査完了 | ◯ |
就業規則・給与規程の最新版確認 | ◯ |
退職金計算表と税務処理方針の合意 | ◯ |
メンタルケア窓口と相談チャネル周知 | ◯ |
PMI 90日計画のKPI設定 | ◯ |
経営理念共有ワークショップ開催計画 | ◯ |
すべてが◯にならない場合は、譲渡契約締結前に専門家を交えて是正策を検討します。
事業譲渡では雇用契約の再締結、退職金精算、有給休暇承継など多岐にわたる課題が生じます。丁寧な説明と書面管理、段階的な情報開示、デメリット補填策の提示が社員の安心につながり、譲渡成功と企業価値維持を実現します。
著者|土屋 賢治 マネージャー
大手住宅メーカーにて用地の取得・開発業務、法人営業に従事。その後、総合商社の鉄鋼部門にて国内外の流通に携わる傍ら、鉄鋼メーカーの事業再生に携わる。外資系大手金融機関を経て、みつきグループに参画