マーケットアプローチとは?メリットと課題を実例付きで解説
マーケットアプローチとは何でしょうか?市場の実績データを基に企業価値を算出する手法です。本記事では仕組みと利点・課題、計算例、専門家のサポート活用までわかりやすくお伝えします。
目次
▶目次ページ:第三者承継(M&A)(企業価値評価)
企業買収や事業承継を進めるとき、対象企業の価値がいくらになるのかを判断することは重要です。その判断を誤ると、譲受企業は期待したリターンを得られず、譲渡企業は本来得られる対価を受け取れない恐れがあります。マーケットアプローチは、こうしたリスクを最小限に抑えるために、市場で既に示されている客観的な数値を使って企業価値を算出する手法です。対象企業と同じ市場に属する上場企業の株価や、過去に行われた類似取引の価格を参考にすることで、主観を排しながら評価できます。
市場株価平均法は、複数の上場企業の株価を平均して倍率(マルチプル)を求め、その倍率を対象企業に当てはめる方法です。例えば、同業上場企業五社のPER(株価利益率)の平均が12倍であれば、対象企業の1株当たり利益に12を掛け算して株式価値を導きます。株価は日々公表されており入手が容易なため、評価に要する時間とコストを抑えられることが特徴です。
類似会社比較法では、対象企業と規模やビジネスモデルが近い上場企業を複数選び、PBR、PER、EBITDA倍率などの財務指標を比較します。たとえばPBR法なら、「株価 ÷ 1株当たり純資産」でPBRを算出し、その平均倍率を掛け合わせて株式価値を求めます。PER法やEBITDA法も同様に、市場で公開されている指標を使うため客観性が確保されます。
類似取引比較法は、過去に成立した類似業種・類似規模のM&A取引データを参照して倍率を求め、対象企業に当てはめる方法です。上場企業だけでなく非上場企業の取引事例も利用できる点が特徴ですが、過去事例の財務情報が非公開の場合は計算が難しいという課題があります。
マーケットアプローチを採用する主なメリットは次の三点です。
市場で公開された株価や買収価格を用いるため、誰が計算しても結果が大きく変わりにくいという利点があります。専門家の経験や主観に依存しないので、譲受企業と譲渡企業の双方が納得しやすい評価根拠を提示できます。
上場企業の株価、業界全体の売買価格、公開資料はインターネットなどで簡単に取得できます。こうしたデータを数学的な計算式に当てはめるだけで評価できるため、インカムアプローチのように将来計画を詳細に策定する手間が省け、評価スピードが速いのが特徴です。
マーケットアプローチで使う株価や取引事例は、現時点の市場環境や景気動向を映し出しています。そのため、景気拡大局面では高い評価が得られやすく、逆に市場が不安定な場合には慎重な価格が導かれるというように、市場の温度感を捉えた意思決定が可能です。
利点が多い一方で、マーケットアプローチには注意点も存在します。
株価や取引価格は日々変動します。経済情勢が急変した局面では、わずか数日の差で評価額が大きく上下する場合があります。その結果、譲受企業が想定したリターンを得られない可能性もあるため、市場のボラティリティを考慮した上で使用する必要があります。
マーケットアプローチはあくまで「平均的」な倍率を使うため、独自技術やブランド力など対象企業固有の強みが希薄化される恐れがあります。特に差別化戦略を取る企業やニッチトップ企業では、真の価値が過小評価されるリスクがある点に留意すべきです。
対象企業が革新的な技術を持つスタートアップだったり、業界自体が新興分野であったりする場合、比較対象となる企業や取引事例が乏しくなります。このようなケースではマーケットアプローチを適用しにくく、インカムアプローチなど他の手法を検討することになります。
企業価値評価には、マーケットアプローチのほかにコストアプローチとインカムアプローチがあります。ここでは三手法の違いを整理します。
コストアプローチは対象企業の貸借対照表に掲載された純資産額をベースに評価する方法です。客観的な数字を使えるため中小企業の譲渡で用いられることが多い一方、今後得られる収益やブランド価値を織り込めない点がデメリットです。
インカムアプローチは、ビジネスが将来生み出すキャッシュフローを予測し、それを現在価値に割り引いて企業価値を算出します。スタートアップやベンチャーなど、高い成長が期待される企業の評価に向いていますが、事業計画の精度に結果が大きく依存するため客観性が低くなりがちです。
PBR法は純資産に着目し割安度を把握する
PBR(株価純資産倍率)は「株価 ÷ 1株当たり純資産」で求めます。例えば株価3,000円、純資産2,000円の場合、PBRは1.5倍です。この倍率が1倍を下回ると、市場では企業の株価が純資産以下で取引されていると判断でき、譲受企業にとっては割安である可能性があります。ただし、一時的な赤字や特別損失で純資産が減少している場合などは慎重な分析が必要です。
PER法は利益水準との比較で割高割安を測定する
PER(株価利益率)は「株価 ÷ 1株当たり純利益」で求め、数値が高いほど株価が利益に対して割高であることを示します。仮に株価3,000円、1株当たり純利益300円ならPERは10倍です。譲受企業は同業他社の平均PERと比べ、対象企業が市場平均より低倍率であれば投資回収期間が短いと判断できます。
EBITDA倍率は資本構成の違いをならして比較する
EBITDAは「税引前利益 + 支払利息 + 減価償却費」で計算します。EBITDA倍率(EV/EBITDA倍)は、「企業価値 ÷ EBITDA」で求め、国ごとの税率や減価償却方法の差異を除外できるため、クロスボーダー案件でも収益性の比較が容易です。
マーケットアプローチ利用時のデータ収集ポイント
マーケットアプローチを行う際は、①直近数年間の平均株価を使って急激な変動の影響を緩和する、②複数の類似企業・取引事例をピックアップして中央値を取る、③単年度の異常値を除外する、といった配慮が評価精度を高めます。特に流動性が低い銘柄は価格がヒットしにくく、過度に高い倍率が算出されやすい点に注意が必要です。
評価結果を実務で活かすコツ
算出した株式価値は、譲渡企業との交渉で重要な根拠資料となります。しかし最終的な譲渡価格は、将来の成長戦略やシナジー効果、デューデリジェンスの結果などを踏まえて決定されるため、マーケットアプローチの数字だけに依存しないバランス感覚が欠かせません。
ここではEBITDA法を用いて、A社の株式価値を試算する流れを追ってみます。
まずA社と業種、売上規模が近い上場企業を複数選びます。類似企業B社、C社、D社を選定したとしましょう。
各社について「企業価値=株式価値+有利子負債−現預金」の式でEVを求めます。たとえばB社は株式価値20億円、有利子負債10億円、現預金5億円とすると、EVは25億円となります。
B社のEV25億円をEBITDA5億円で割れば5倍、C社は4.8倍、D社は5.2倍などとなります。平均倍率5.0倍を採用します。
A社のEBITDAが3.7億円なら「3.7億円 × 5.0倍 = 18.5億円」がA社の企業価値です。ここから純有利子負債(有利子負債10億円−現預金5,000万円)を差し引き、株式価値は13.5億円と算出できます。
計算例からわかるポイント
EBITDA倍率を使うと、資本構成や減価償却の違いを吸収しつつ企業価値を比較できるため、複数社を横並びで評価する際に有効です。また、倍率はあくまでも平均値であり、最終的な価格交渉では譲受企業が期待するシナジー効果などを加味して調整するのが一般的です。
マーケットアプローチは万能ではありません。次のような状況では別の手法を検討する必要があります。
デジタルプラットフォームや宇宙関連など新興分野では、比較対象となる上場企業がほとんど存在しません。この場合、将来収益を重視するインカムアプローチで評価するのが実務上一般的です。
パンデミック直後や金融危機などで株価が過度に下落している状況では、倍率が急低下し企業価値が実力よりも大幅に割り引かれる可能性があります。タイミングを見極め、必要に応じて直近数年の平均倍率を利用するなどの工夫が求められます。
希少な知的財産や歴史あるブランドを有する企業は、純資産やEBITDAに反映されない超過収益力を持つことがあります。コストアプローチやインカムアプローチでブランド価値を補正する必要があります。
マーケットアプローチは比較的シンプルな計算で実施できますが、実務では細かな判断が要求されます。
非上場企業の場合、取引事例の入手経路が限定されるため、アドバイザーは独自データベースで補完しつつ、決算期や会計基準の違いを調整します。公認会計士・税理士が在籍する専門家チームなら、会計基準を揃えた公平な比較が可能です。
専門家はマーケットアプローチだけでなく、コスト・インカム両アプローチでの試算も併用し、複数シナリオの価格帯を提示します。このプロセスにより、交渉が膠着せずスムーズに合意形成へ進みやすくなります。
譲渡益課税や株式譲渡に伴う手続など、税務・法務の観点から最適なスキームを提案できる点も専門家に相談する利点です。特にクロスボーダー案件では国ごとの会計基準や税負担の違いが大きく、グローバル対応実績を持つアドバイザーが不可欠です。
マーケットアプローチには四つの代表的な手法があります。それぞれ対象企業の状況や入手可能なデータによって使い分けられます。以下では特徴と留意点をまとめます。これら四手法は共通して倍率(マルチプル)を用いて価値を推計するという枠組みを持ちながら、データの入手源や対象範囲が異なります。評価担当者は、①対象企業と事業特性が近いか、②必要な数値が開示されているか、③市場環境が落ち着いているか、の三点を確認し、最も妥当性が高いと判断される手法を主軸に据えた上で、残りの手法を補完的に活用すると良いでしょう。
類似企業比較法ではビジネスモデルや規模が近い上場企業を複数選び、PBR法やPER法、EV/EBITDA倍率などを用いて対象企業の株式価値を推計します。最もポピュラーな手法で、公開情報を使うため透明性が高く再現性があります。ただし決算期や会計基準の違いによる指標のばらつきを調整する必要があり、選定する比較対象の質が評価結果に直結します。売上総利益率、営業利益率、EBITDAマージン、従業員数などの非財務指標も確認し、単なる数値の一致ではなくビジネスモデルの共通性を重視することが評価精度の向上に繋がります。
類似取引比較法は上場非上場を問わず過去に行われたM&Aの取引価格をベースに倍率を導きます。実際の買収価格が反映されるため、買い手と売り手の交渉力や市場環境が織り込まれた実務的な数値となる点が魅力です。一方で取引事例の財務データが非公開だったり、取引の背景に業績以外の戦略要因が大きく作用していると正確な比較が難しくなります。過去のM&A取引価格を参考にする場合は、取引が成立した年の経済情勢や為替レート、買収側企業の戦略意図などを出来る限り把握し、単純に倍率を流用しないよう注意が必要です。
市場株価法は対象企業自体が上場している場合に限定して使われる手法です。一定期間(通常1〜3か月)の平均株価を取り、突発的な株価変動の影響を平滑化して企業価値を算出します。株価そのものが市場の評価を示すため客観性が極めて高い一方、相場が荒れている時期は平均値でもバイアスを含む可能性があります。平均株価を算出する期間が短すぎると異常値の影響を受けやすく、長すぎると最新情報が反映されません。一般的には30日、60日、90日平均の三本を提示し、株価ボラティリティ(標準偏差)を算出して妥当性を説明します。
類似業種比較法は相続税評価などで用いられる手法で、国税庁が公表するデータを基に業種ごとの指標を利用します。株価を操作した不当な利益移転を防ぐ目的が強く、主に同族会社の株式評価で活用されます。M&Aの価格交渉では使用シーンが限定的ですが、親族内承継に伴う税務対策としては重要な位置づけを持っています。指標には一株当たりの配当金、年末株価、純資産額、配当金支払割合などがあり、評価に用いる年度のデータへ更新しているかがポイントです。
マーケットアプローチを検討する経営者から寄せられる代表的な疑問にお答えします。
市場で形成された株価や買収事例を基準に評価額を算出するため、現在の投資家や譲受企業がどの程度の価格を受け入れているかという相場感を把握できます。株価や倍率の根拠が明確なので、譲渡側にとっては価格提示の説得材料となり、譲受側にとっては投資回収期間を定量的に検証する材料になります。ブランド価値や独自ノウハウが過小評価される場合は、DCF法でプレミアムを付与して補正するのが一般的です。
類似類似企業が存在しない新規市場や株式市場全体が急落している局面では評価値が不安定になります。比較対象企業の株価が三か月以内に30%以上変動している場合や、売上規模が一桁以上離れている場合はインカムアプローチを併用して検証することが推奨されます。
ニッチ領域や革新的技術分野では、EBITDA倍率の国際業種平均データや将来キャッシュフローを重視するDCF法が代替手段となります。複数手法で算出したレンジを比較し、合理的な価格帯を設定することが実務では一般的です。
決算書類の更新時期に合わせてデータを取得すると、調整作業が少なく短期間で評価できます。また、比較対象を三社以上選び、中央値を用いることで極端な数値の影響を抑え、追加の検証作業を減らせます。評価結果の有効期間は概ね三か月以内が目安で、重要イベント後は速やかに更新することが望まれます。
マーケットアプローチは市場の株価や過去取引を基準に企業価値を数式で導ける便利な手法です。ただし市場変動や比較対象の選定次第で結果は揺れます。複数アプローチを組み合わせ専門家の助言も得れば、精度と納得感ある価格決定につながります。譲渡予定がなくても定期的な価値チェックが将来の備えになります。
著者|竹川 満 マネージャー
野村證券にて、法人・個人富裕層の資産運用を支援した後、本社企画部署では全支店の営業支援・全国の顧客の運用支援、新商品の導入等に携わる。みつきグループでは、教育機関への経営支援等に従事