上場企業とのM&A買収戦略の成功事例と注意点を解説
上場企業とのM&Aは事業拡大の大きなチャンスですが、時間や権限面の制約も伴います。本稿では最新動向からメリットデメリット、成功の勘所までを分かりやすく解説します。
目次
▶目次ページ:第三者承継とは(様々なM&A)
日本の上場企業によるM&Aは年々増加しています。2023年には国内譲受企業によるM&A件数が1,069件となり、リーマンショック以降で最多を更新しました。さらに海外案件も7年ぶりに年間200件を超え、国内外で積極的な動きがみられます。経済産業省の調査によれば、2010年度から2019年度にかけて件数は624件から1,536件へとおよそ2.5倍に伸長しました。In-In型取引の比率が高いことから、国内市場内での提携や再編が活発化していることが分かります。
この背景には、人口減少による国内需要縮小への対応、グローバル競争の激化、技術革新のスピードアップなどが挙げられます。上場企業は外部の技術、人材、市場を取り込むことで短期間で競争力を強化しようとしており、M&Aが経営戦略の中心に位置付けられている状況です。
株主からの要求が高まる中、上場企業には資本コストを意識した経営が求められています。内部資金を眠らせず、成長投資へ振り向けることでROEを高める姿勢が評価されるようになりました。また、新規市場への参入や事業モデルの転換を自前で行うには時間がかかるため、即効性のあるM&Aを選択するケースが増えています。経営環境の急激な変化に対応する手段として、M&Aは不可欠なカードとなっています。
上場企業は証券取引所に株式を公開し、広く投資家から資金を集められる点が最大の特徴です。株式が自由に売買されるため、資金調達コストが相対的に低く、成長資金を迅速に確保できます。一方、非上場企業は株式の譲渡制限を設けることが一般的で、第三者による取得を防ぐ代わりに資金調達手段が限定されます。
2022年4月に東京証券取引所はプライム市場、スタンダード市場、グロース市場へ再編されました。
プライム市場
規模が大きく流通株式比率やガバナンス基準が最も厳格。大型M&Aや海外買収など巨額案件が多い傾向。
スタンダード市場
中堅規模で成長性と安定性を兼ね備える企業が上場。事業拡大を狙った買収が中心。
グロース市場
高成長志向の新興企業が上場。技術獲得や人材確保を目的とした小中規模の買収が目立ちます。
上場企業株式は譲渡制限がなく、取引所外での公開買付けや市場内取引で取得できます。非上場企業では会社法一三六条などに基づき株主総会や取締役会で承認を得る必要があり、手続が煩雑です。また、上場企業は継続開示義務を負うため、M&A過程でも情報開示と説明責任が厳格に求められます。
上場企業の株主構成が取引に与える影響
譲受企業の株主は機関投資家や投資信託が多く、短期的なリターンを重視する傾向があります。そのため、M&Aに伴う希薄化や収益性の変化について説明責任が厳格です。取引金額や統合後の収益計画が合理的かどうか、第三者意見書を取得して株主へ提示することが一般的です。
一方、非上場企業ではオーナー経営者の持株比率が高く、意思決定は迅速ですが、価格決定プロセスがブラックボックスになりがちです。上場企業を相手とする場合は、評価手法や前提条件をあらかじめ共有し、透明性を担保することでスムーズな協議が可能となります。
公開買付けと相対取引の使い分け
株式が広く分散している場合は公開買付けが有効です。期間と価格を公告し、短期間で必要数の株式を取得できます。特定の支配株主がいる場合は相対取引で条件を合意し、機動的に経営権を移転する方法が選ばれます。どちらの手法でもインサイダー情報の管理が欠かせません。
上場市場別に異なるM&A目的
市場特性を踏まえて交渉すれば、自社の希望条件とマッチする相手先を探しやすくなります。
上場企業との提携は譲渡企業に数多くの恩恵をもたらします。
株式譲渡の対価は税率が一律で、事業譲渡に比べて課税後手取り額が多くなるケースがあります。得た資金を次の投資や資産承継へ充当できるため、経営者個人のライフプランにも好影響を与えます。
活用例
譲受企業が大規模であれば、人員を吸収できる余力があります。譲受企業が持つ教育制度や福利厚生を活用できることで、従業員の定着率向上も見込めます。交渉段階で雇用条件や評価制度を共有し、合意書に盛り込むことが重要です。
上場企業の知名度は取引先の信用調査を通りやすくし、新規顧客開拓を後押しします。特に地方企業にとっては全国展開の足掛かりとなり、販路の地理的制約が小さくなります。
公開市場からの増資や社債発行により、譲受企業は研究開発投資を加速可能です。新製品開発やITシステム刷新など、単独では難しかった施策を実行しやすくなります。
内部統制報告制度やJ-SOX対応が義務付けられることで、業務プロセスの標準化が進みます。結果として金融機関からの格付け向上や取引条件の改善が期待できます。
利点と表裏一体で、注意点も存在します。
譲受企業は複数部門や取締役会、監査役会、場合によっては株主の理解を得る必要があります。デューデリジェンスの範囲が広がり、税務・法務・人事など専門家の確認も増えるためです。スケジュール策定時に余裕期間を設定し、途中経過を双方で共有する仕組みを整えましょう。
親会社の年次計画や稟議制度に合わせる必要から、意思決定のスピードが遅くなる場合があります。事前に経営方針のすり合わせを行い、自社の価値観を尊重してもらえるよう交渉することが大切です。
上場企業グループに入ると四半期決算や監査対応が求められます。経理体制の整備やシステム導入コストが発生するため、準備期間を確保し、外部専門家と連携しながら移行計画を策定しましょう。
社員規模や業界慣行が異なる場合、評価制度や意思決定フローの違いがストレスになることがあります。統合前から交流機会を設け、両社の文化を共有する仕組みが不可欠です。
相手企業の法令違反や偶発債務が後に発覚すると、ブランド価値が損なわれる恐れがあります。表明保証条項や補償条項を契約に組み込み、リスクを分担することで負担を軽減できます。
デメリット緩和に役立つ実務対応例
上記のような具体策を講じれば、デメリットを最小化しながら譲受企業のリソースを享受できます。
ここまでで、上場企業とのM&Aに伴う環境変化とその対応策を整理しました。次のセクションでは、取引を成功させるための目的設定と譲受企業調査の要点について詳しく解説します。
また、譲受企業と長期的に良好な関係を築くためには、契約締結後の統合フェーズであるPMIを軽視しない姿勢が不可欠です。文化融合と目標共有の枠組みを早期に整備することが、シナジー創出を加速させる第一歩となります。
上場企業との交渉を円滑に進めるには、社内外での情報共有と事前準備が不可欠です。譲渡に関わる全員が同じゴールを理解し、手順を明確化することで、価格交渉や従業員への説明がスムーズになり、期待する成果を実現しやすくなります。
M&Aを成功させる第一歩は、「なぜ上場企業と組むのか」を定量的に示すことです。目的が曖昧だと交渉軸がぶれ、相手との条件調整や社内合意形成に時間がかかります。関係者全員が同じゴールと数値目標を理解し、PDCAサイクルに組み込むことが重要です。
目的設定4つのステップ
上場企業だから安心というわけではありません。譲渡後の統合やリスクを最小化するため、財務面だけでなく組織風土や過去実績まで幅広く確認します。不明点は早期に質問状でクリアにし、議事録を残すことで後日のトラブル防止につなげます。
調査で確認したい5つの視点
以上の準備を通じて、上場企業との交渉を戦略的に進め、M&A後の円滑な統合へつなげましょう。
上場企業とのM&Aでは、企業買収、合併、資本業務提携など、目的や規模に応じた複数の手法が活用されます。各手法の特徴と留意点を押さえ、最適な方法を選ぶことが成功の鍵となります。
株式取得
譲受企業が発行済株式の過半数以上を取得し、経営権を掌握する方法です。公開買付け(TOB)や相対取引などで行われ、対象会社の資産・負債を包括的に承継します。デューデリジェンスで簿外債務の有無を精査し、表明保証条項でリスクをコントロールします。
事業譲渡
譲受企業が特定の事業部門や資産、契約、従業員など、必要な範囲のみを取得する手法です。不要な負債を切り離せますが、個別契約の承認手続きが必要となる場合があります。また、譲渡資産に対して消費税が課税され得る点に留意が必要です。
株式取得の特徴と留意点
事業譲渡の特徴と留意点
企業合併は二社を一体化し、法人格を統一することで経営資源を集約します。組織文化の融合には時間を要しますが、管理コスト削減や資本効率改善など大規模なシナジー創出が期待できます。
合併プロセス六ステップ
資本提携により少数株を取得しつつ、業務提携で特定分野の協業関係を築くことで、段階的に関与度を高める手法です。成果に応じて出資比率や業務範囲を拡大し、最終的に完全買収へと進むことも可能です。
資本提携と業務提携の違い
以上の手法を理解し、自社のM&A目的やリスク許容度に応じて最適なスキームを選択してください。
上場企業が採る代表的な4つのM&A戦略ごとに、その狙いと具体的な留意点を整理します。
同業他社を買収し、市場シェアや顧客基盤を一気に拡大する手法です。スケールメリットを活かして、間接部門のコスト削減や購買力向上を図ります。
原材料供給から製造、流通、販売までを一貫管理し、コスト削減と品質安定を実現します。
自社にない製品群を取り込むことで、既存顧客へのクロスセルや新規顧客獲得を狙います。
異業種の企業を買収し、景気変動リスクを平準化します。
以上の戦略を目的やリスク許容度に応じて組み合わせることで、上場企業が求める成長シナリオを実現可能です。
以下の3件は、上場企業が明確な目的を掲げて成果を上げた代表例です。取引の狙いと実際の効果を整理し、自社の戦略検討に役立てましょう。
エルテス社が2022年3月にGloLing社を全株式取得した目的は、深刻化するIT人材不足への対応と開発内製化の加速でした。買収後は、
といった成果を達成。PMIでは、採用・教育体系を両社統合版へ一本化し、二四か月以内に離職率を10%未満へ抑える目標を設定しました。技術獲得型M&Aでは、人材定着と知識共有のしくみ作りが投資回収のカギとなります。
ハマキョウレックス社は2022年2月、中神運送社の株式を取得しネットワークを拡充。買収理由は、EC成長に伴う都市圏ラストワンマイル需要の取り込みでした。統合後に、
など、スケールメリットを具体的数値で可視化。成功要因は、物流拠点再配置を“100日プラン”に組み込み、初年度からキャッシュ創出を実現した点です。
ソラスト社は2022年3月、なないろ社を子会社化し保育所運営を拡大。狙いは既存の介護・医療受託事業と保育サービスを横串で連携させ、地域包括ケアモデルを強化することでした。統合後は、
と、関連事業間シナジーが顕在化しました。サービス品質指標(保護者アンケート満足度)を統合KPIに設定したことが統合推進力となりました。
事例から得られる3つの教訓
狙いを一点に絞り、KPIを明文化
技術・規模・関連領域拡大など目的を明確にし、定量目標を設定する。
統合初年度に回収計画を共有
“100日プラン”で組織・システム・拠点統合を並行管理し、早期にキャッシュ創出。
文化統合はトップ同士の信頼が起点
経営層が合同タウンホールを開催し、従業員へビジョンを直接発信する。
M&Aを成功に導くには、リスク管理・人材ケア・専門家活用の三本柱を押さえる必要があります。以下の要点をチェックリスト代わりに活用してください。
表明保証
簿外債務・訴訟・知財侵害などについて、違反発覚時の損害賠償範囲と算定方法を明記。
価格調整条項
純資産や運転資本の確定値に応じて対価を後調整し、資金流出リスクを抑制。
MAC条項
クロージング前に重大事象が発生した場合の契約解除条件を設定。
TOBを活用した迅速な株式取得
期間・価格・下限株数を公告し、短期間で経営権を確保します。ただし、大量保有報告書や開示スケジュールを遵守しなければ、市場からの信頼を損なう恐れがあります。
PMI成功の鍵は“100日プラン”
データ統合・組織統合・文化醸成を同時並行で進め、三か月以内に意思決定と責任の所在を明確化することで、従業員の迷いを減らしシナジー創出を加速させます。
取引コストと税務の視点
株式譲渡益、事業譲渡消費税、登録免許税などをクロージング前にシミュレーションし、必要資金を確保します。
海外子会社を含む場合の追加留意点
外為法や各国の外資規制・競争法を確認し、クロージング期限にラグが生じないよう余裕を持ったスケジュールを設定します。
因果関係を意識したシナジー測定
売上シナジーはクロスセル比率、コストシナジーは統合後コスト/売上高で月次KPI化し、進捗を可視化しましょう。
文化統合のベストプラクティス
上場企業とのM&Aは、事業拡大や競争力強化の有効な手段となり得ます。メリットとしてキャピタルゲインの獲得や雇用の安定が挙げられる一方、クロージングまでの時間や経営権限の制限などのデメリットも考慮する必要があります。成功のカギは、明確な目的設定と綿密な企業調査にあります。買収、合併、資本業務提携など、状況に応じた適切な手法を選択することが重要です。実例からも分かるように、M&Aは様々な業界で活用され、事業成長の重要な戦略となっています。
著者|竹川 満 マネージャー
野村證券にて、法人・個人富裕層の資産運用を支援した後、本社企画部署では全支店の営業支援・全国の顧客の運用支援、新商品の導入等に携わる。みつきグループでは、教育機関への経営支援等に従事