歯科医院M&Aの基礎知識と市場動向や成約事例まで解説
歯科医院を譲渡・承継するとき、経営者が押さえるべきポイントは何でしょうか?本記事では歯科M&Aの基礎知識、市場動向、具体的手順、成功事例、準備の最適なタイミングまでをやさしく解説し、最良の判断をサポートします。
目次
▶目次ページ:業種別M&A(様々な業界でのM&A)
歯科医院M&Aとは、医院の経営権や資産、ブランド、スタッフとの雇用関係をまとめて第三者に譲渡する取引を指します。売り手にとっては後継者不在による廃業を回避でき、買い手にとっては設備や患者基盤を低コストで獲得できるため、双方にメリットがあります。
歯科医院の譲渡では、株式譲渡、事業譲渡、吸収合併・分割といった手法が使われます。株式譲渡は法人格をそのまま残せる点が特徴で、患者との契約やスタッフの雇用契約をスムーズに引き継げます。事業譲渡は資産や負債を切り分けられるため、リスクを限定したい買い手に選ばれます。吸収合併や会社分割は、医療法人同士の再編に活用され、一定の規模や複数拠点を経営するグループ化戦略に適しています。
事業承継は「誰に経営を引き継ぐか」を問う広い概念であり、親族内承継や従業員承継、第三者承継など複数のパターンがあります。その方法の一つとして選ばれるのがM&Aです。すべての承継がM&Aになるわけではありませんが、第三者に譲渡する場合はM&Aが主流となっています。
居抜き売却では、物件と内装、歯科ユニットなどの設備を譲渡する一方、患者データやスタッフは原則として引き継がれません。そのため買い手は人材採用や新規患者の開拓に追加コストを要し、売り手にとっても築いてきたブランドや診療ノウハウを残せない点がデメリットとなります。包括的に価値を引き継げるM&Aとは目的とスコープが大きく異なるため、両者を混同せず選択肢を検討することが重要です。
歯科医院数は2023年10月時点で67,899施設と報告され、うち約76.1%が個人経営です。経営者の高齢化も進み、同年には代表者の58.6%が60歳以上でした。帝国データバンクの調査では後継者不在率が90%超に上り、2024年の医療機関休廃業・解散件数は722件で過去最多を更新しています。こうした背景から「閉院か承継か」の選択を迫られる医院が急増しています。
創業院長が高齢になるまで診療を続けた末に廃業を選ぶケースが目立ちます。無床診療所である歯科医院は閉院が容易な反面、地域にとっては口腔ケアの提供者が突然失われるリスクがあります。公益社団法人の調査でも、管理者の30.8%が2040年までに周辺の診療所が減少すると回答しており、後継者問題は地域の医療インフラを揺るがす課題といえます。
10万人規模の歯科医師の多くが都市部に偏在し、地方では「無歯科医地区」が増加しています。アクセス格差は高齢者や要介護者の oral health を損なう要因になり、訪問診療や地域包括ケアの観点からも早急な対策が必要です。第三者承継は地方医院の継続と都市部医院の多角化の双方に有効な解となります。
歯科ユニット3台規模でも開業には5,000万円超の初期投資が必要です。しかし設備投資率2%未満の医院が6〜7割を占め、老朽化した機器更新が進まない現状があります。大規模な投資に踏み切れない医院がM&Aによって資金力のある医療法人に加わる事例が増えており、「再生型M&A」が投資ファンドにも注目されています。
M&Aの第一の価値は、地域医療サービスの継続性を守れることです。医院が閉鎖されれば口腔機能管理や在宅訪問診療の担い手が失われますが、承継によって患者は通院先を失わずに済みます。第二に、スタッフの雇用維持が可能です。歯科医師や歯科衛生士、受付スタッフはキャリアを継続でき、買い手は熟練人材を確保できます。
院長が引退年齢を迎えても、適切な譲受先が見つかれば廃業せずに価値を現金化できます。売却代金は老後資金や新たな挑戦の原資となり、計画的なライフプランを描けます。
訪問歯科や矯正・美容領域へ多角化したい医療法人にとって、既存医院の取得は短期間で市場参入できる近道です。複数医院をグループ化すれば、材料仕入れや人材採用を標準化でき、スケールメリットが働きます。
M&Aは売り手と買い手だけの取引ではありません。患者はかかりつけ医院を維持でき、スタッフは雇用と職場環境を守られ、地域は医療インフラを失わずに済むため、公益性の高い選択肢といえます。
メリットが大きい一方で、M&Aには患者の信頼低下や従業員モチベーションの変化といった課題も存在します。これらを理解し、先回りして手を打つことが成功の分水嶺となります。
歯科治療は対人サービスであり、患者は「誰に診てもらうか」を重視します。院長交代後に診療方針や接遇が急変すると、長年の固定患者が離れる恐れがあります。前院長による紹介や共同診療期間を設けることで、不安を軽減しスムーズな移行を図れます。
M&A後に労働条件や評価制度が変わることで従業員が戸惑うケースがあります。買い手は早期に面談を行い、待遇とキャリアパスを明確に伝えることで不安を払拭できます。組織文化の違いを尊重しながら新しい価値観を浸透させることが、サービス品質の維持につながります。
施設や医療機器の老朽化、患者情報の管理体制、診療報酬請求の適正性など、表面上は見えにくいリスクが隠れている可能性があります。専門家による財務・法務・労務・ITの四面からの調査を実施し、取引価格と契約条項に反映させることで、成約後のトラブルを防止できます。
M&Aは短期間で完結するものではなく、平均して半年から1年を要します。ここでは多くの案件で採用される五つのステップを紹介します。
初動で重要なのは「誰に引き継ぐか」を決めるための情報収集です。M&A仲介会社、金融機関、マッチングサイト、FAなど複数のチャネルを比較検討し、自院の規模やエリア、譲渡後のビジョンに合った窓口を選びます。秘密保持契約を締結したうえで、財務情報や診療実績を提供し、候補先とのマッチングを進めます。
候補先と条件がすり合わせられたら、取引価格のレンジやクロージング目標時期、独占交渉期間などを記載した基本合意書(LOI)を締結します。法的拘束力は限定的ですが、双方のコミットメントを可視化し、以降のデューデリジェンスと最終契約に向けた道筋を共有できます。
買い手は財務、法務、人事、IT、設備の各専門チームを編成し、帳簿や契約書、医療機器の耐用年数、スタッフの有資格状況などを調査します。診療報酬請求の過誤がないか、個人情報保護が適切か、感染対策マニュアルが整備されているかなど、医科とは異なる歯科特有の観点も重要です。
デューデリジェンス結果を踏まえ、譲渡価格と支払方法、引き渡す資産・負債の範囲、表明保証、競業避止義務、従業員の処遇方針などを明記した最終契約書を取り交わします。弁護士や税理士が条項を精査し、クロージング条件を設定することで、想定外の債務や訴訟リスクを防ぎます。
売買代金の決済と行政手続が完了したらクロージングです。引き渡し後は、診療報酬の名義変更、保健所や厚生局への届出、電子カルテのアカウント移行など実務が残ります。中でも旧院長による紹介や立会診療を一定期間行う“移行期間”を設けると、患者とスタッフに安心感を与え、売上の落ち込みを抑えられます。
歯科医院M&Aでは、医療法人特有の税務処理や許認可更新が絡むため、税理士・公認会計士・弁護士・歯科経営コンサルタントの協働が欠かせません。譲渡益課税の最適化や消費税区分、土地・建物の評価、医療法上の理事変更手続など、多岐にわたる論点を早期に洗い出すことで、成約後の追加費用を抑制し、買い手・売り手双方の負担を軽減できます。
ここまで、歯科医院M&Aの概念、市場動向、メリット、そして基本的な進行フローまでをご紹介しました。後半では、費用の内訳や相場、成功事例、検討すべきタイミング、そして承継を成功に導く実践的なポイントをさらに詳しく解説します。引き続きお読みいただければ、医院と地域社会を守りながら最良の着地点を見つける手掛かりが得られるでしょう。
なお、各ステップでは情報開示のタイミングと範囲を慎重に管理することが、信頼関係構築の鍵となります。中でも医療機器リース契約の取扱いは見落としがちなので注意が必要です。
歯科医院M&Aでは、仲介会社やFAへの報酬、専門家費用、行政手続など複数のコストが発生します。あらかじめ費用構造を把握し、譲渡価格から逆算して資金計画を立てることが重要です。特に「成功報酬のみ」の仲介会社を選べば、着手金や中間金を抑えられる一方、成約時の支払総額が高くなるケースもあるため、報酬テーブルとサービス範囲を細かく比較しましょう。
一般的な手数料は①相談料、②着手金、③中間金、④成功報酬の4段階で構成されます。相談料ゼロでも着手金が数十万円発生する場合や、途中解約時に違約金が設定される場合があります。成功報酬はレーマン方式が主流で、譲渡価格2,000万円の場合で約200万〜300万円が相場です。報酬体系と解約条件を確認したうえで、費用総額だけでなく支払タイミングを資金繰りに組み込むことが大切です。
平均的な歯科医院の売却価格は2,000万〜3,000万円です。一方、新規開業では内装・医療機器を揃えるだけで5,000万円以上が必要とされます。買い手側はM&Aによって約半分のコストで診療基盤を取得できる利点があり、売り手側は過去の投資を回収しつつ廃業リスクを回避できます。双方が「コスト比較」という共通言語を持つことで、価格交渉がスムーズに進みます。
M&Aは「廃業寸前の最後の手段」ではなく、院長のライフプランや制度改定に合わせた計画的な選択肢です。ここでは検討を本格化すべき7つの局面を整理します。
引退を60歳以降に設定する場合でも、候補探しと交渉には半年〜1年を要します。55歳を過ぎた頃から専門家に相談を始め、希望条件を言語化しておくと、納得できる相手を選びやすくなります。
親族やスタッフに承継意欲がないと判明した段階で、第三者承継を現実的に検討します。先送りすると業績が低下し評価額が下がるため、早期に方向性を定めることが医院価値を守る近道です。
院長の体調不良や燃え尽き感はサービス品質に直結します。無理に続けるより、元気なうちにバトンを渡すほうが患者・スタッフ・家族の安心につながります。
ユニットやCTの更新時期が迫ると多額の資金が必要です。投資後に譲渡しても回収が難しい場合があるため、設備更新を決める前にM&Aを視野に入れることが合理的です。
黒字のうちに動けば、買い手は将来のキャッシュフローを期待できるため高値がつきやすく、交渉も優位に進みます。逆に赤字化してからでは条件が大きく後退します。
経験豊富なスタッフが離職せず勤務している医院は高く評価されます。組織が安定している今こそ市場に出すタイミングです。
診療報酬改定や外来環加算要件の厳格化など制度変更の影響が大きいと判断したら、改定前に譲渡してリスクを先取りする方法もあります。
成功事例を通じて、買い手・売り手・地域の三者が満足するポイントを確認しましょう。
愛媛県の個人クリニックでは、地域医療を最優先する買い手を選定。経営理念が一致したことで、患者離れを招かずスムーズに譲渡が完了しました。
70代院長の案件では、基本合意からクロージングまで4ヶ月のOJT期間を設け、買い手が診療方針と院内オペレーションを学習。結果として売上は譲渡後も伸長しました。
沖縄のクリニックは40代院長が譲渡後も勤務を継続。法人の資金力と院長の技術を融合し、分院展開に成功しました。M&Aは必ずしも完全引退を意味しないことがわかります。
取引を円滑に進めるには、医院の真の価値を可視化し、多分野の専門家と協働体制を築くことが不可欠です。
売上、利益、キャッシュフローといった財務指標に加え、医療機器の性能、患者データベース、地域の評判、スタッフ技術などの無形資産を総合査定します。これにより双方が納得できる価格帯を設定できます。
アドバイザーはマッチングと交渉を統括し、税理士・公認会計士は財務分析と税務対策を担当、弁護士は契約条項と法的リスクを診断します。歯科特有の設備や診療報酬の論点を理解する専門家と連携することで、譲渡後のトラブルを最小化できます。
歯科医院M&Aは後継者問題の解決策であり、市場動向や費用構造、最適なタイミングを理解すれば、高評価での承継が可能です。価値評価と専門家連携を徹底し、患者・スタッフ・地域にとって最善の形を実現しましょう。
著者|竹川 満 マネージャー
野村證券にて、法人・個人富裕層の資産運用を支援した後、本社企画部署では全支店の営業支援・全国の顧客の運用支援、新商品の導入等に携わる。みつきグループでは、教育機関への経営支援等に従事