人材業界のM&A最新動向と注目事例や重要ポイントを解説
人材業界M&Aは、人手不足や技術革新への対応、後継者不在などの課題を一気に解決できる有力戦略です。本記事では業態別の動向、譲渡・買収双方のメリット、売却価格の目安、手続の流れまでをやさしく解説します。
目次
▶目次ページ:業種別M&A(様々な業界でのM&A)
人材業界には人材派遣、人材紹介、求人広告、採用コンサルティング、採用関連システム運営など幅広い業態があります。少子高齢化による労働力不足や働き方の多様化が進む中で、各社は迅速に経営資源を再編し、サービスを高度化する必要に迫られています。その手段として定着しているのがM&Aです。
M&Aは、資本や経営権を移転させることで他社の顧客、ノウハウ、人材をそっくり取り込み、短期間で事業規模を拡大できます。人材業界では「人」と「データベース」が主要資産であるため、新規開拓よりもM&Aの方が合理的なケースが少なくありません。
近年は経営者の高齢化が進み、中小企業で後継者不在を解決する目的のM&Aが増えています。売り手は事業承継と現金化を同時に実現でき、買い手は専門人材と顧客基盤を一括で獲得できるため、双方に大きな利点があります。本稿では業態別動向から譲渡・買収メリット、価格算定の目安、手続の流れ、具体的事例までをわかりやすく整理します。
人材業界のM&A件数は年々増えていますが、業態によって起点となる課題や注目点が異なります。ここでは5つの主要領域の特徴を整理します。
2015年の労働者派遣法改正で「グループ内派遣」に規制がかかり、許認可管理や雇用安定措置の負担が増しました。このため、大手の傘下に入ることで管理コストを抑えたい中小派遣会社のM&A案件が多く、市場は比較的売却しやすい環境と言われています。
成功の鍵は、早めの準備と専門家の協力、人材業界全体の動向把握、そして法令順守リスクの事前検討です。特にコンプライアンスの不備はデューデリジェンスで価値が下がる要因となるため、内部体制を整えた上で交渉に臨みましょう。
有料職業紹介事業者は令和3年度に27,899事業所まで増えています。競合との差別化を図るには、専門分野に特化したノウハウや求職者データベース、顧客基盤など無形資産の価値を正確にアピールすることが不可欠です。特殊な需要が見込まれる領域ほど、差別化ポイントを明確に示すことで高値取引が期待できます。
求人広告代理店は企業とメディアを仲介するビジネスで、幅広い顧客層を持つ点が魅力です。そのためIT企業や広告会社など異業種からの買収ニーズも高く、営業力強化や販路拡大を目的としたM&Aが多数成立しています。地域密着型の場合は、地域ニーズに精通している点が評価されやすいのが特徴です。
採用コンサルティングは企業の採用課題解決を支援する領域で、求人倍率の上昇や採用手法の複雑化に伴い需要が伸びています。「人」が主要資産となるため、M&Aでは従業員のノウハウとプロジェクト実績を慎重に評価する必要があります。高付加価値サービスを提供できるかどうかが買い手の注目点です。
採用管理システム(ATS)や採用業務アウトソーシング(RPO)を提供する企業は、採用プロセスのデジタル化を背景に需要が高まっています。テクノロジーと人材サービスの融合を図りたい異業種からの参入も多く、サービスの継続性や顧客データの扱いがリスク評価の中心となります。
ここからは、人材会社が譲渡側としてM&Aを選択した場合のメリットを整理します。主な利点は次の6つです。
大手企業の傘下に入ることで、取引先や登録求職者が増え、主力事業へ経営資源を集中できます。また、大手取引先と直接取引できるようになることで利益率が向上する可能性があります。
経営者が高齢化し後継者が不在でも、M&Aで譲受企業に事業を託せば事業継続が可能です。従業員の雇用を維持しつつ、オーナーは引退の準備を進められるため、事業承継の有力な選択肢となります。
株式譲渡の場合は雇用契約がそのまま引き継がれるため、従業員の雇用を維持しやすい点が魅力です。顧客との関係も保持できるため、サービス提供の連続性が損なわれません。
廃業では原状回復や各種手続に費用と時間がかかりますが、M&Aなら売却益を得ながらコストを抑えられます。株式譲渡で得た対価は経営者の引退後の資金にもなり、経済的メリットは大きいと言えます。
事業を譲渡した後は同一または隣接市町村で20年間同業を行えない競業避止義務が原則ですが、実務では1〜5年程度に短縮する合意が一般的です。契約時に期間と地域を具体的に設定することで、将来的なビジネス展開の自由度を確保できます。
人材業界のM&Aは許認可や個人情報保護など特有の論点が多いため、業界経験の豊富なM&A仲介会社やアドバイザーの関与が欠かせません。専門家を活用することで、業界特有のアピールポイントを整理し、成約へ向けた的確な助言を得られます。
譲渡検討の初期段階では、派遣スタッフの就業状況や登録データベースの更新頻度、顧客フィー率の推移など買い手が関心を持つ情報を整理しておくと交渉がスムーズです。秘密保持契約締結後は必要な情報をタイムリーに提供し、リスク評価を過度に引き上げられないよう注意しましょう。
また、人材会社の譲渡価格は「株式譲渡なら純資産額+営業利益の2〜5年分」「事業譲渡なら移動純資産額+事業利益の2〜5年分」が目安とされています。顧客基盤の質と量、独自システムの有無など無形資産を定量的に示すことで高値成約の可能性が高まります。
許認可についても留意が必要です。派遣業や有料職業紹介業は厚生労働大臣の許可が必須で、事業譲渡や会社分割では許可を引き継げません。スケジュールに余裕を持って交渉を進め、必要に応じて新規許可取得を準備しましょう。個人情報の流出リスクにも十分注意し、関連法規を遵守したセキュリティ体制を整備することが重要です。
買い手企業がM&Aを通じて人材会社を買収すると、事業規模の迅速な拡大と優秀な人材の一括確保という二つの大きなメリットがあります。
同業種を買収すれば、売り手企業の顧客と求人案件をそのまま引き継げるため、新たな営業投資をせずに売上を伸ばせます。就業場所の拡大や新しい地域・業界への参入も同時に実現できるため、スピード感を重視する経営戦略と親和性が高いのが特徴です。
人手不足が深刻な人材業界では、専門スキルを持つ人材を一人ずつ採用するのは困難です。M&Aであれば、ノウハウを持つ従業員を一括で獲得でき、介護や医療、ITなど特定分野の専門性を強化できます。外国人留学生や有資格者の派遣に強い企業を買収する動きが増えているのはそのためです。
IT開発力を持つ人材企業を取り込めば、RPOやATSなどHRテック領域の新規事業をスピーディーに立ち上げられます。実例として、RPOを主軸にする企業がWEBサイト制作や求人システム開発の知見を持つ会社を買収し、新たなHRテックサービスを開発できたケースが挙げられます。
さらに、買い手が異業種であっても、人材ビジネスのノウハウを取り込むことで本業にシナジーを生み出す事例が増えています。広告代理店が求人広告代理店を買収して広告制作力を高めたり、IT企業が採用関連システム運営会社を買収してSaaSビジネスを強化したりする動きが代表的です。こうしたクロスボーダー的な買収は、双方の強みと弱みを補完し合うため、統合後の成長余地が大きい点が高く評価されています。
人材会社の譲渡価格は、株式譲渡と事業譲渡で算定式が異なります。一般的な目安は次の通りです。
・株式譲渡 売却価格 = 時価純資産額 + 営業利益の2〜5年分
・事業譲渡 売却価格 = 移動純資産額 + 事業利益の2〜5年分
しかし、人材業界は「顧客基盤」「データベース」「マッチングシステム」「ブランド力」など無形資産が価値の大半を占めるため、利益倍率だけでは適正価格を把握できません。そこで、以下の5つの評価ポイントを押さえておくことが重要です。
法人顧客の数と業種の多様性、登録求職者の属性バランス、直近3年間のリピート率などを開示し、安定収益の再現性を示すことが高値評価につながります。
求職者データベースの件数だけでなく、AIマッチング機能や分析ダッシュボードなどのDX実装度を示すことで、市場成長性を強調できます。検索速度やUIの使いやすさを動画で提示するケースも増えています。
介護・医療・ITなど専門領域に特化し、求人倍率が高い分野で実績を積んでいる企業は、営業利益の5年分を超えるプレミアムが付く場合があります。成約事例を数値で示すことで説得力が増します。
派遣法や職業安定法の遵守状況、個人情報保護体制、内部監査の頻度を自己点検表で提示すると、買い手はデューデリジェンスに要する時間を短縮でき、値引き交渉を回避できます。
組織統合後の人員配置、給与体系の統一方針、システム統合のロードマップなどを事前に設計すると、買い手は統合コストを織り込みやすく、評価額を高く提示しやすくなります。
評価事例で理解する価格プレミアムの付け方
例えば、専門学校向け人材紹介に特化したA社は、登録データの90%が教育業界経験者であるという希少性が評価され、営業利益の6年分という高倍率で成約しました。買い手は既存顧客と採用課題が近く、クロスセル可能性が高いと判断したためです。自社の強みを定量データと事例ストーリーで示すことが、のれん代アップに直結することがわかります。
価格交渉を有利に進める情報開示のタイミング
トップ面談時に全情報を開示すると、交渉の主導権を失う恐れがあります。適切なのは、秘密保持契約締結後にKPIサマリーを共有し、独占交渉権付与と引き換えに詳細資料を提示する段階的アプローチです。これにより、情報流出リスクを抑制しつつ買い手の購入意欲を高められます。
バリュエーションギャップを埋めるアーンアウト条項
成約時に評価差が大きい場合は、クロージング後2年間の営業利益目標達成率を基準に追加対価を支払うアーンアウト条項を設定する手法があります。売り手は高値を目指し、買い手は実績に応じて支払えるため、両者のリスクバランスを取ることができます。
派遣・紹介で許認可を熟知し、ITシステムやKPIに明るい仲介会社を選ぶと、初期段階で強みを的確に整理でき、交渉スピードが向上します。選定時は「人材M&A成約件数」「業界出身者の有無」「IT・DX知識」の3項目を比較するとよいでしょう。
候補企業リストを作成したら、営業エリア重複率、顧客セグメント補完率、システム統合コストの試算を行い、シナジーマップを作成します。定量化により社内稟議や取締役会の合意形成がスムーズになります。
人材ビジネスは情報流動性が高いため、取引が長期化すると登録者が流出するリスクがあります。独占交渉期間を90日以内に設定し、競業避止条項の範囲を先に合意することでデューデリジェンスを円滑に進められます。
財務・法務・税務に加え、派遣事業許可の更新履歴、労使協定方式の適用状況、有料職業紹介事業許可の取得要件を精査します。また、個人情報の暗号化状況やアクセス権限管理をITデューデリジェンスで点検することが必須です。
統合初日の全社員説明会でビジョンと処遇方針を共有し、不安を軽減します。登録スタッフへはFAQと専用相談窓口を設置し、派遣先企業には担当変更計画を早期に示すことで離反を防ぎます。
株式譲渡では会社自体が存続するため許可を承継できます。一方、事業譲渡や会社分割では買い手が新規許可を取得する必要があります。スケジュールに半年以上の余裕を見込み、労働局との事前相談を行いましょう。
会社法では20年と定められていますが、業界実務では1〜5年へ短縮する合意が多いです。譲渡後に再起業を視野に入れる経営者は、期間と地域を具体的に交渉し、契約書に盛り込むことが大切です。
2022年施行の改正個人情報保護法では漏えい時の報告義務が強化されました。M&Aの際は、登録者データ暗号化率、取得済み利用同意の範囲、外部委託先管理体制を確認し、統合後のガバナンス計画を示す必要があります。
ATSやCRMの統合には、データ移行中に検索やマッチングが停止しないよう、ブルーグリーン方式など段階的移行を採用するのが一般的です。移行計画を事前に説明し、顧客・求職者へ通知することが信頼維持につながります。
事例を学ぶことで、M&Aで生まれるシナジーを具体的にイメージできます。
ツナググループ・ホールディングスは、WEB制作・求人システム開発に強みを持つGEEK社を1億3,000万円で買収し、RPO事業にIT開発力を組み合わせることで、求人票作成自動化ツールを12か月でローンチしました。自社開発では2年かかると試算されていた工程を短縮し、年間3,000万円のコスト削減効果を得ています。
アポプラスキャリアはオンコール社を子会社化し、医療機関向けシフト管理システムと看護師・薬剤師の紹介派遣を連携しました。これにより、紹介後の定着率が8ポイント向上し、医療機関との長期契約比率が65%から78%に上昇しました。
エン・ジャパンはフリーランスIT案件サイト「フリーランススタート」を運営するBrocante社を株式交換で買収し、テクノロジー強化と新規事業領域の獲得を実現しました。プラットフォーム会員数は買収後1年で1.8倍に増加し、広告掲載料収入が前年比160%となっています。
最後に、今後の市場環境を踏まえて押さえておくべき3つのトレンドを整理します。
生成AIは求人票自動生成や面接評価サマリー作成などに活用が広がっています。AIエンジンを保有するスタートアップ買収は、マッチング精度向上と業務効率化の両立を図る最短ルートとなるでしょう。
日本でもジョブ型雇用が拡大し、企業はスキルデータベースを整備し始めています。スキル可視化SaaS企業とのM&Aは、派遣・紹介・求人広告各社にとってサービスラインナップ拡大の鍵となります。
ASEAN諸国の優秀なIT人材や介護人材を取り込むため、海外紹介会社の買収や合弁設立が増えています。為替リスクとビザ規制を管理できる体制を構築し、市場成長を取り込む戦略が重要です。
人材業界M&Aは、許認可・人材データ・技術革新という3つの要素が成否を分けます。売り手は無形資産を定量化し、買い手はPMI計画を明確にすることで、両社の価値を最大化できます。生成AIや海外人材の活用が進む今こそ、実務に強い専門家と連携し、早期に準備を始めることが成功への近道です。
著者|竹川 満 マネージャー
野村證券にて、法人・個人富裕層の資産運用を支援した後、本社企画部署では全支店の営業支援・全国の顧客の運用支援、新商品の導入等に携わる。みつきグループでは、教育機関への経営支援等に従事