IT業界M&A最新動向と成功事例から学ぶ戦略的事業承継術
IT業界M&Aは事業承継だけでなく技術や人材確保、海外展開など多彩な目的があります。本稿では最新動向と事例を基に活用メリットと注意点を分かりやすく解説し、貴社の成長戦略に役立つ情報を提供します。ぜひご一読ください。
目次
▶目次ページ:業種別M&A(様々な業界でのM&A)
IT業界とは、情報技術を活用してハードウェア、ソフトウェア、クラウド、プラットフォームなど多岐にわたるサービスを提供する領域を指します。かつては「ハードウェア」「ソフトウェア」「アプリケーション」のように分けて語られることが一般的でしたが、現在は領域が相互に重なり合い、単独で語ることが難しくなっています。クラウド上でアプリケーションとプラットフォームが一体化し、セキュリティやネットワークもサービスとして提供される状況が典型例です。そのため、本稿では便宜上次の6つの分類で整理します。
・ハードウェア
・ソフトウェア
・アプリケーション
・クラウドサービス
・プラットフォーム
・インフラ・セキュリティ・ネットワーキング
これらは互いに連携し、利用者に統合的な価値をもたらしています。
ハードとソフト、オンプレミスとクラウド、端末とネットワーク——以前は別々に語られていた技術領域は、デジタルトランスフォーメーション(DX)の進展で急速に融合しています。たとえばクラウドサービスを支えるのはデータセンターというハードウェア基盤であり、その上で動くソフトウェアがSaaSやPaaSとして提供され、ユーザーはブラウザやスマートフォンアプリを経由してサービスを利用します。こうした重層的な構造こそが現代のIT業界の姿です。
一方、経済産業省は「ソフトウェア業」「情報処理・提供サービス業」「インターネット附随サービス業」という3つの区分で業務を分類しています。この整理により、IT業界は技術分類だけではなく業務内容でも捉える必要があることが分かります。たとえばソフトウェア業の中には受託開発も自社プロダクト開発も含まれ、情報処理業にはデータセンター運営やBPOが、インターネット附随サービス業にはSNSやECなどのWebサービスが含まれます。業務区分ごとの特色を理解することで、後述するM&Aの目的やシナジーを読み解きやすくなります。
IT業界を語るうえで欠かせないのが多重下請型構造です。大手システムインテグレーター(SIer)が顧客からシステム開発を一括受注し、作業を細分化して中堅・中小のIT企業へ委託し、さらに零細企業へ再委託する流れが存在します。これは建設業の元請・下請の仕組みと酷似しており、IT業界が「人月ビジネス」と呼ばれる所以でもあります。
発注元が総合SIerにシステム全体を依頼すると、SIerは要件定義や上流工程を自社で行いながら、プログラミングやテストなどを協力会社に分割発注します。実装やテストの一部はさらに孫請け企業へ流れます。結果として工程管理や品質保証を担う大手と、作業に従事する中小零細が階層的に並ぶ構造が形成されるのです。
下層に行くほど利益率は低下し、人材確保や教育に投資する余力が乏しくなります。そのため単価上昇が期待できないまま長時間労働が常態化し、優秀なエンジニアが離職する悪循環が生じるケースも珍しくありません。M&Aを活用してグループ化し、安定した案件供給と教育体制を整える動きが活発化している背景には、この構造的課題があります。
IT業界はAI、ビッグデータ、IoT、クラウドといった成長分野を背景に右肩上がりが続いています。しかし、その陰には解決が急がれる4つの課題が存在します。
「IT業界のM&A件数推移」
経済産業省の調査では2030年に約45万人のIT系人材が不足すると見込まれています。需要拡大に採用と育成が追いつかず、AIやサイバーセキュリティなど高度領域での人材確保は熾烈です。
1980〜1990年代創業のソフトウェア企業では、創業者が70歳代を迎えています。後継者未定のまま経営を続けるケースは多く、事業承継問題が顕在化しています。
新技術の誕生は年々加速しており、中小企業が独力で研究開発や設備投資を行うのは難しい状況です。結果として、大手の下請にとどまらざるを得ず収益機会が限定されます。
多重構造では請負単価が目減りし、従業員の待遇も抑制されがちです。人材流出が企業体力を削ぎ、さらなるコスト減少を招く負の連鎖が起こります。
IT市場はボーダレス化が進み、システム開発会社だけでなくWebメディア、EC、IoT、AI、VR/ARなど多種多様な企業が参入しています。M&Aや資本業務提携が市場参入の近道となり、競争は激化の一途をたどります。
スマートフォンの普及とクラウド技術の発展により、サービスを世界同時に展開できる環境が整いました。従来の業種区分は薄れ、ユーザーニーズに合わせて企業間の協業や譲受が進んでいます。
資本力の弱い企業は単独での成長が難しいため、上場企業にグループインする、あるいは同業と合併して開発拠点や顧客基盤を共有する選択肢が取られています。これにより、人材不足解消や海外展開への足がかりを得ることが期待されています。
国内のM&A市場全体で見ても、IT分野は突出した伸びを示しています。公開情報に基づくと2010年から2022年までの12年間で件数は約7倍に増加しました。非上場企業同士の取引は開示義務がないため統計に表れにくく、実数は公表値の1.5倍に達するとも言われます。M&Aという経営オプションが一般化した結果ですが、IT業界において件数が特に多い理由は次の二点です。
日本の新規上場企業のうち四割前後がIT関連企業で占められています。上場後、株主価値の向上を図る手段として、成長分野に強みを持つスタートアップや専門技術を持つ中小企業を譲受する動きが活発です。これにより新規顧客やエンジニアを一括で取り込み、市場シェア拡大と開発効率向上を同時に図るケースが増えています。
日本のIT産業は1960年代に生まれ、1980〜2000年代に急速に企業数が増えました。当時30〜40歳で創業した経営者が現在は60〜70歳代となり、株式や経営権の承継が急務となっています。M&Aは後継者不在の解決策として有効であり、譲渡企業が保有するノウハウや顧客基盤を維持したまま譲受企業へバトンを渡す手段として選択されることが多いのです。
IT業界でM&Aを実施する目的は技術取得や人材確保、海外展開など多岐にわたりますが、譲渡企業と譲受企業で得られるメリットは立場によって異なります。
譲渡企業はM&Aを通じ、下請中心のビジネスモデルから自社サービスへ転換する資金を得たり、大手グループの一員となってグローバル市場に挑戦したりできます。また、低収益事業を手放し、有望分野へリソースを集中させることで利益率向上が期待できます。オーナー経営者は株式譲受益を得て、経営の重責から解放される利点も享受できます。
譲受企業にとっては、最先端AI技術や優秀なエンジニアをまとめて獲得できることが最大の魅力です。将来性ある分野への迅速な参入や海外拠点の拡充を図り、スケールメリットでコスト削減も期待できます。事業拡大に伴う開発拠点の統合で設備投資を抑えつつ、市場シェアを拡大できる点が大きな強みです。
IT業界では多様な目的でM&Aが実行されています。ここでは代表的な3つの事例を概観し、狙いと得られたシナジーを整理します。
自動作成ソフトを展開するテンダは、受託開発に強みを持つ三友テクノロジーをグループ化しました。IT/DX人材の確保と顧客基盤の拡大、そして受託開発と自社プロダクトの連携による単価向上を図った点が特徴です。
VR事業を推進するクロスデバイスは、関西圏でWeb制作とコンサルを行うT-imageを譲受しました。VR技術とデザイン力の相乗効果を狙い、地域的な業務拡大とサービス品質向上を達成しています。
ソーシャルメディア支援サービスを展開するアライドアーキテクツが、テキスト解析技術に強みを持つメタデータと資本・業務提携を行いました。解析技術を活かした新サービス開発で顧客価値を高める狙いです。同様に、(株)エイジアもメタデータと提携し、自然言語処理を活用したマーケティングソリューションを共同開発しています。
IT業界M&Aの活発化は、人材と技術、そしてスピードを重視する時代における必然的な流れと言えます。
IT業界のM&Aは多くのメリットをもたらしますが、同時に無視できないデメリットやリスクも存在します。これらを十分に理解したうえで対策を講じなければ、期待した成果を得られません。
異なる企業文化や価値観が衝突すると、従業員のモチベーションが低下し離職につながる恐れがあります。特にIT企業は開発手法や評価制度が多様で、開発スピードや品質基準に差がある場合、プロジェクト遅延や品質低下の原因となりかねません。統合前に相互理解を深め、統一した評価指標やコミュニケーションルールを整備することが重要です。
譲渡企業は、買収価格が期待よりも低く評価されるリスクがあります。また、M&Aプロセスが長期化すれば、経営者や従業員の心理的負担が大きくなり、日常業務に支障を来す可能性もあります。交渉の初期段階で企業価値の根拠を提示し、妥当な価格で合意できるよう準備しておく必要があります。
買収には仲介報酬やデューデリジェンス費用など多額のコストが発生します。さらに、譲受企業は譲渡企業の負債や契約上の債務を引き継ぐ場合があり、想定外の出費が経営を圧迫することもあります。事前に財務状況を綿密に調査し、潜在債務を洗い出すことでリスクを最小限に抑えましょう。
M&Aで失敗しないためには、目的と計画を明確にし、統合後の運営方針まで具体的に描いておくことが必須です。ここでは五つの視点を紹介します。
「なぜM&Aを行うのか」を経営陣と従業員が共有することで、統合後の方向性がぶれません。技術取得か顧客基盤拡大か、人材確保かグローバル展開か、目的に応じて統合手順とKPIを設定することが成功の第一歩です。
売却側が会社価値を最大化できるタイミングは限られています。成長カーブが上向きで収益が安定しているときに交渉を進めると、買手側からも高い評価を得やすくなります。市場環境と自社の業績を常に把握し、最適な時期を見極めましょう。
買手側は譲渡企業の保有技術やエンジニアの経験を詳細に評価する必要があります。プロジェクト管理体制やコードレビューの基準も確認し、統合後にスムーズに開発を継続できるかをチェックしましょう。
統合が決まった段階で、従業員に適切な情報を開示し、不安を払拭する取り組みが重要です。役割や評価制度がどう変わるのかを明確に説明し、キャリアパスを提示することで優秀な人材の流出を防げます。
IT業界特有の技術・市場動向を理解し、豊富な実績を持つ仲介会社は取引の成功確率を大きく高めます。専門家による企業価値評価や法務・財務のサポートが得られるため、交渉の公平性とスピード感が確保できます。
仲介会社はM&Aの橋渡し役として、買手・売手双方にとって重要なパートナーです。以下の3つの視点で慎重に選定しましょう。
技術トレンドや業界慣行に詳しい仲介会社は、適切な買手候補の選定やスムーズな条件交渉を行えます。過去の成約実績や同業種の案件数を確認しましょう。
成功報酬、着手金、月額報酬など費用体系は仲介会社ごとに異なります。契約前に料金の内訳と支払いタイミングを把握し、複数社の見積を比較することで、予算に見合ったサービスを選択できます。
取引成立後のPMI(Post Merger Integration)をサポートする体制があるかどうかは、統合を円滑に進めるうえで欠かせません。組織再編やシステム統合の経験が豊富な仲介会社なら、合併後の混乱を防げるでしょう。
IT業界のM&Aは、人材不足や技術革新への対応を一度に実現できる強力な選択肢です。目的を明確にし、文化統合や財務リスクに備えれば、譲渡企業は経営課題を解消し、譲受企業は競争力を大幅に高められます。信頼できる仲介会社と連携し、タイミングを逃さず行動することが成功の近道です。
著者|竹川 満 マネージャー
野村證券にて、法人・個人富裕層の資産運用を支援した後、本社企画部署では全支店の営業支援・全国の顧客の運用支援、新商品の導入等に携わる。みつきグループでは、教育機関への経営支援等に従事